秋季慰霊大祭
カテゴリー: 護國日誌
2014年10月10日 金曜日

郷土愛媛御出身

 

 

四万九千七百二十六柱の

 

 

英霊の安鎮を希う

コメント / トラックバック2件

  1. 清麿 より:

    末吉様 ご無沙汰しておりましたが 久し振りに、お姿を見て お元気そうでなによりです さて…昨日は、少し暑いくらいの秋晴れの元
    秋季慰霊大祭が 斎行され 慶賀の至りでございます 久し振りに、神社で英霊の兄上に、会えたと、老いた父が 申して おりました。小生も 父の兄上の叔父と、語れた様な気がします 英霊の叔父が生前 平時や鎮守府の勤務の頃 励んだ弓術(現在の弓道) 現在 小生が下手ながら弓道を励んでいる事 叶うなら明日12日の試合の御加護 19日の昇級、段審査の御加護 上手く成れるこつ …叔父は、自己努力と、言われている様ですが…さて、今年は、叔父が 戦艦金剛と、ともに戦死されてから… 昭和十九年十一月二十一日からですから 七十年 地元八幡宮の宮司 御子息の常磐井禰宜様に、七十年式年墓前祭を お願いしている処です   また護國神社でも命日祭に、御願いに、上がりますが 宜しく御願い致します  長く成りましたが 慰霊大祭に、尽力された。額田宮司様 末吉様、神社職員様、関係者様、 お疲れ様でした

  2. 末吉 より:

    清麿様
     
    こんにちは。
    大変ご無沙汰しております。
    先日の秋季慰霊大祭には、御尊父様と変わらぬご参拝を頂き、
    また、末吉にお声がけ下さり、有難く思います。
    六十九回目の慰霊大祭も無事に終わり、
    今は只々安堵しております。
    戦艦金剛は現在ではイージス艦「こんごう」として名前が引き継がれ、国防の最前線で活躍していますね。
    当時は唯一の外国製戦艦として活躍、
    昭和十九年の沈没までその名を轟かせました。
     
    いつもご参拝頂いておりますが、
    御祭神は清麿様のご活躍、
    御尊父様の御健勝をさぞお慶びになられておられることでしょう。
    今年は七十回目の御命日、
    来年は終戦七十年を迎えます。
    弓道の上達や皆様方のご様子など、
    改めてご奉告旁ご参拝頂きますこと
    お待ち申し上げております。
     
    いつも
    おもてなしもできず大変申し訳ないのですが
    御祭神を偲びつつ、
    お時間の許す限り
    ゆっくりお話しできればと楽しみにいたいしております。

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