末吉、沖縄戦終結の日に言上
カテゴリー: 護國日誌
2014年6月23日 月曜日

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日は『沖縄戦終結の日』

以前にもご紹介しましたが、

 

大田実海軍中将の最後の打電を改めてご紹介致します。

あるサイトに読みやすいものがありましたので、

是非最後まで読んでください。

 

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官

左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし

 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。

  沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇いとまなかりき。

  然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅わずかに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

  しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊ほうすい婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。

  所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

  看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。

  さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

  これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。

 

沖縄戦での愛媛県御出身の戦没者、二千七十七柱英霊。

 

はるか沖縄を遥拝致します(拝)

 

 

~本日の予定~

①特にありません

 

~明日の予定~

①特にありません

   

~明後日の予定~

①末吉、会議です

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