末吉、スタンド・バイ・ミーをみて記す
カテゴリー: 護國日誌
2013年6月17日 月曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第五十四回稽古日 6月22日 13時~17時(森光宗芳先生)

第五十五回稽古日 6月23日 10時~15時(江戸宗禮先生) 

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こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

「私は12歳のときの友人に勝る友人を、その後持ったことがない。誰でもそうなのではないだろうか?」

日本語吹き替え版の出だしはこうだったと・・・

1986年公開の映画「スタンド・バイ・ミー」の出だしです(日本語吹き替え版ですよ!)

 

この映画の舞台は1950年代のアメリカオレゴン州のキャッスルロックという田舎町。

それぞれが心に傷を持っている12歳の少年4人組、ゴーディ、クリス、テディ、バーンは、ある日、30キロ先で行方不明になっている少年が列車にひかれ野ざらしになっているという話を聞きます。第一発見者になればテレビや新聞で取り上げられ有名になるだろうという安易な発想から線路を歩き「死体探し」の旅をするという、内容を知らなければ「なんじゃそりゃ?」という物語です。

しかし映画の中では、日々の生活、環境、進路などなど、思春期特有の悩みを、唯一の仲間である彼らが話し、励まし合い、不器用ながらも精一杯生きようとする様が映し出され、

見終ると、

『あぁ・・・確かにそういう時期があったなぁ・・・』

『そんなこと考えてたなぁ・・・そう思ってたなぁ・・・』

そう共感できる作品です。

まだ見たことない方にはおすすめですよ(⌒▽⌒)

 

さて本日6月17日は、

地元松山聯隊こと、歩兵第二二聯隊が沖縄戦にて軍旗を奉焼した日であります。

明治19年8月17日軍旗拝受以来、

義勇公に奉ずべく勇猛果敢に戦いつつ、

先人が守ってこられた大切な軍旗。

その軍旗を奉焼し、文字通り必死を誓い、最後の総攻撃に入ったのです。

戦後、その土を持ち帰り、境内に御奉納した記念碑がひっそりと建っています。

以前、その沖縄戦に参加され奇跡的に復員された方がお参りされたとき、

この場所で、

『戦友は何にも代えがたい』

そうおっしゃっていたのを思い出しつつ、この写真を撮りました。

映画の言葉を引用するならば、

『私は一緒に戦った戦友に勝る友人を、その後もったことがない』

ということなのかもしれません。

 

冒頭に戻りますが、

スタンド・バイ・ミーを直訳すると

「そばにいて」「自分を支えていて」だそうです(英語はさっぱりw)

それを英霊に例えるならば、

ご遺族様の願いであり、

戦友の方々の祈りにも聞こえます。

しかし、

平和という言葉を手にいれた代償に、

スタンド・バイ・ミーという言葉を忘れていくようでなりません。

 

英霊のそのお気持ち、

決して無にしてはなりません。

 

 

~本日の予定~

①松山南高等学校有志慰霊碑清掃奉仕 午後4時~

 

~明日の予定~

①末吉、お休みです

  

~明後日の予定~

①特にありません

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    末吉様
    本日の文章すばらしいですね。
    多々共感します。

    「スタンド・バイ・ミー」という
    意味は、もっと意訳して解すれば
    「寄り添う」ということではないでしょうか?
    (英語学者の見解はともかく)
    その方が心に響くと思います。

    「英霊に寄り添う」ーこの言葉を
    深く噛み締めしめるべきと思います。
    22連隊はじめ有名無名問わず
    その姿勢が、今の日本人から失われています。

  2. 末吉 より:

    S様
     
    大変ご無沙汰しておりますが、
    お変わりありませんか?

    英語苦手な末吉は、
    辞書を片手にがんばったのですが、
    語学力はここまでが精一杯ですw
    そのように訳するほうがいいですね(⌒▽⌒)
    ご教示、ありがとうございました。
     
    さて、
    六月十七日は、松山聯隊軍旗奉焼の日。
    末吉も御神前、忠魂社、慰霊碑と拝礼を致しました。
    しかし松山聯隊が特別なわけではなく、
    大東亜戦争をはじめ幾多の事変、戦役で散華された多くの英霊に慰霊顕彰を捧げるのが至極当然のことであります。
    先人たちが残された功績は、
    平和の礎となり、
    過去から現代、未来へと受け継がれなくてはなりません。
     
    英霊の声なき声に耳を傾け、
    その遺徳を偲び、
    文字通り「英霊に寄り添う」
    これこそまさに慰霊顕彰の第一歩であります。

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