愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室
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第四十四回稽古日 4月13日 13時~17時(森光宗芳先生)
第四十五回稽古日 4月14日 10時~15時(江戸宗禮先生)
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こんにちは。
人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
本日は、
第一日曜日なので、
第860回献茶祭が斎行されましたが、
同時進行で大祭準備。
昨日が大荒れの予報でしたが、
昨晩から今朝にかけて、
とんでもないほどの風が吹きましたので、
境内は落ち葉と枯れ枝だらけになってますwww
大祭準備、外回りも予定がずれ込み、
いま、テントを張ってますw
末吉、
いまから準備に加勢してまいります。
今朝は、
朝ご飯を少ししか食べなかったので、
風で飛ばされたらどうしようwww
~本日の予定~
①第860回献茶祭 午前9時~
②中予地区神職連合会に伴う正式参拝 午前11時30分~
~明日の予定~
①西条市国安遺族会慰霊祭 午前10時30分~
②西条市周布遺族会慰霊祭 午前11時~
~明後日の予定~
①春季慰霊大祭霊璽奉安祭 午後6時~
大祭直前のお忙しい折、長々失礼します。
先月27日の産経新聞に、先月20日広島県江田島の
海自幹部候補生学校で卒業式があり、
そこに初めて米海軍第7艦隊司令官の
スコット・スウィフト海軍中将が参列し祝辞を述べた
ことが紹介されています。その祝辞が大変素晴らしいものです。以下にアドレスとその内容をご紹介します。そのなかでは
日露戦争後に東郷平八郎元帥により発表された、連合艦隊解散の辞が引用されていますが、これは日本海海戦の作戦を立案した松山出身の秋山真之によって書かれたものです。
この引用も含め、この祝辞全体が、大東亜戦争で戦った
旧日本海軍を高く評価しその将兵に賛辞を送っています。
その中で「太平洋では日米両海軍の戦力は競合していた」と
ありますが、これは即ち日本海軍は決して一方的に米海軍に
敗れたのではなく、その実力は五分五分と同等と評価しています。第7艦隊の司令官といえば、過去の歴任者の殆どが、
その後は米海軍の作戦部長など主要なポスト重責をになっています。従って決してお世辞や外交辞令などというものではなく、米海軍全体の評価と認識すべきです。
関連した文献も数冊、刊行されています。
著名なのが昭和47年時事通信社刊の
『よみがえる日本海軍』ジェームス・E・アワー著 妹尾作太男訳と、平成13年中公新書刊の『海の友情ー米国海軍と海上自衛隊ー』阿川尚之著です。この中に戦後、米海軍が日本海軍を
戦術や能力や将兵の質の高さなどを以下に高く評価して
いたかが具体的にその一端が紹介されています。
今の日本人は、無謀な戦争で一方的に米軍や連合国に
圧倒的に敗北潰走したなどと思っている方も多いようですが、
事実は全く違います。それを米側の資料にありますが、
日本ではそうしたものは殆ど紹介されていません。
あの戦争で日米両海軍の実力が競合していたということが、
全部の新聞を調べたわけではありませんが、
少なくとも私は他に知りません。
ぜひこの記事の内容を多くの方に知っていただきたいと
思います。
またこの卒業式と米司令官の祝辞を取り上げた
マスコミも一切ありません。今の日本の歴史観をシンボリックに(皮肉ですが)現している事象のようです。
*以下産経からの引用
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130327/amr13032715220008-n1.htm
その日、広島県・江田島にある旧海軍兵学校の中庭に立つ桜の古木がみごとに開花した。明治期の赤レンガ校舎は現在、海上自衛隊幹部候補生学校として使われている。
3月20日午後、卒業式を終えた幹部候補生178人と飛行幹部候補生42人が、江田島の埠頭(ふとう)から7カ月の練習航海に旅立った。彼らは防衛大学校と一般大学を卒業したあと、海自の幹部候補として1年間の実践的な教育を受けてきた。
埠頭で見送りする河野克俊海上幕僚長のそばに米海軍第7艦隊司令官、スコット・スウィフト中将の姿があった。沖に停泊する練習艦や護衛艦から出港の合図がくると、2人は号令官の連絡を受けて答礼を返した。
第7艦隊司令官が江田島の卒業式に出席したことはいまだ例がない。日本を取り巻く国際環境が厳しいからだろう。北朝鮮は核開発を進め、中国は日本の領海、領空の侵犯を繰り返す。いまほど日米同盟が試されることはない。
スウィフト司令官は数日前に、旗艦ブルーリッジを駆って呉港に入り、対岸の江田島に駆けつけた。卒業証書の授与後に述べた祝辞は、過去に戦った日米両海軍がいまは同じ海洋国家としての強い紐帯(ちゅうたい)があることを強調した。
司令官は河野海幕長を引き合いに、「70年前に海幕長と私の父親が、敵対する海軍として対峙(たいじ)していたことが思い出される。彼らは後に、誇りと尊敬をもって互いがよく戦ったことを回顧した。戦闘を通し、互いを尊敬しあうようになったのだ」と述べた。昨日の敵は今日の友である。
司令官の父は、他人が日本海軍の将兵を悪くいうと、ただちに彼らを称賛し、自分がいかに尊敬していたかを語っていたという。そのうえで司令官は、「第二次大戦は国力が勝敗を分けたものの、太平洋では日米両海軍の戦力は競合していた」と日本海軍の実力を評価した。そして、日露戦争後に東郷平八郎提督が連合艦隊解散式で行った訓示を引用する。
「武士の一生は切れ目のない戦いであり、時代が変わってもそれが変わることはない。ことがあれば彼はその力をふるい、平和なときには戦力を蓄えることで、その職責を果たす」
このとき、セオドア・ルーズベルト大統領は東郷の訓示に感激して麾下(きか)の将軍たちに読むよう送付した。スウィフト司令官はこの挿話を受けて、「私たち米海軍は、地域の安定、国家の平和と繁栄を維持し、皆さまとともに海原を航海できることを楽しみにしている」と激励した。
司令官の祝辞は、歴史カードで日本をののしる中国とは対照的である。習近平国家主席は昨年9月に中央軍事委員会副主席として、訪中したパネッタ国防長官(当時)に「日本の軍国主義は中華民族に深刻な害を与えただけでなく、米国を含むアジア太平洋諸国も傷つけた」(昨年9月19日の新華網)と述べ、尖閣諸島に結びつけて日本を非難した。中国が米中関係を深めようとする際に、日本が「戦犯国家」だったことを思い出させるいつもの手口である。
2期目のオバマ政権が、習近平政権の誘いに乗って対話優先で近づくか否かは微妙なところだ。とくに、北朝鮮の核開発を抑えるため、突然に米中が手を結ぶこともあり得る。だが江田島の司令官祝辞は、気まぐれな政治の世界と違い、日米両海軍には同盟の力強い絆があることを示していた。(東京特派員)
S様
ご返信が大変遅くなりました。
先ずは、
春季慰霊大祭、諸事滞りなくご奉仕致しましたこと、
ご奉告申し上げます。
さて、米海軍第7艦隊司令官スコット・スウィフト海軍中将の祝辞、謹んで拝読させて頂きました。
先人の武勲を賞賛しつつ、戦時中は敵として対峙しながらも、互いを尊敬するその寛大な心の広さに感動さえ致しました。
反面、なぜマスコミがこのようなことを報道しないのか、報道の在り方に疑問さえ感じます。
このような素晴らしい出来事があったことをお教え頂き、
感謝申し上げます。