末吉、日本一の花嫁人形を記す
カテゴリー: 護國日誌
2013年3月17日 日曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第四十二回稽古日 3月23日 13時~17時(森光宗芳先生)

第四十三回稽古日 3月24日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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末吉、刀匠を記す

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こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

ソメイヨシノが綻びはじめましたよヾ(@^▽^@)ノ

来月10日の大祭に満開になるかと思いきや、

ここ数日、非常に暖かい日が続いてますので

開花が早そうです。

桜が咲き始めると

出会いと別れの季節・・・

心は和みつつも

反面、ちょっぴりさみしい気持ちにもなりますw

 

末吉が神職を志し、

まがいなりにも勉学に励んでいたころ、

全国から集まった心同じくする者と一緒に、

研修の一環として靖國神社に参拝する機会がありました。

 

その時、遊就館を拝観したのですが、

今でもはっきり覚えているのが下の日本人形です。

(写真は他のサイトから拝借しましたm(_ _)m)

お名前は『桜子』さん。

 

靖國神社の遊就館に展示してあるものです。

この人形には次のようなお話があります。

(以下、英霊の言乃葉(8)113頁114頁を添付します)

 

英霊に捧げられた

 母からの手紙と花嫁人形(佐藤ナミ)

 

武一よ。貴男は本当に偉かった。

二十三歳の若さで家を出て征く時、今度逢う時は靖國神社へ来てくださいと。

雄々しく笑って征った貴男だった。

どんなにきぴしく苦しい戦いであっただろうか。

沖縄の激戦で逝ってしまった貴男・・・・・・。

年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。

日本男子と産れ、妻も娶らず逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。

今日ここに、日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。

私も八十四歳になりましたので、元気で居りましたなら又逢いに来ますよ。

どうか安らかに眠って下さい。有がとう。

 昭和五十七年三月二十八日

母ナミ

 

武一の命

 御前に

昭和五十七年三月二十八日北海道の佐藤ナミさんから、妻を娶ることなく若くして戦死した我が子「陸軍軍曹佐藤武一命」のために「桜子」さんと名付けられた花嫁人形が靖國神社に奉納されました。そして、傍らに添えられたお手紙が先の文章です。

佐藤武一命の略歴は、歩兵第二十二聯隊所属、昭和二十年四月十日沖縄本島幸地にて戦死、北海道山越郡八雲町出身、二十三歳。

なお、御奉納の花嫁人形は、現在遊就館に展示してあります。

【平成十四年十月靖國神社社頭掲示】

 

純粋な想いが詰まった、

本当に、本当に、『日本一美しい花嫁人形』です。

 

靖國神社や遊就館、

各道府県の護國神社は、

戦争賛美の施設ではありません。

文句があるならば参拝しなければいい。

 

ここは・・・この場所は、

國を想われて散華された英霊がお鎮まりになり、

その英霊となられた方々の純粋な想いがあり、

それを慰霊するための多くのご遺族の方々の想いがある、

なんぴとたりとも犯すことのできない

崇高で清浄な、

誇り高き大切な場所なのですから。

日本で一番、

穢れなき純粋な想いが集う場所なのですから。

 

ご参拝される皆様方、

当社もそのような場所であることを、

決して忘れないで下さいね。

 

 

追記。

歩兵第二十二聯隊(通称 山3474部隊)は、

当県松山編成の部隊であり、

県内ご出身の方々が多いのですが、

昭和14年、満蒙国境警備に当たる第二十四師団に編入、

北海道旭川の第七師団が兵員の補充を担当しました。

その後、第三十二軍に編入された二十二聯隊は沖縄の守備へと転進しました。

そのためあまり知られていませんが、

沖縄戦の二十二聯隊には、

桜子さんのご主人、佐藤武一命をはじめ、

北海道ご出身の方々がたくさんいらっしゃったのです。

その事実を皆さんも知っていて下さい。

 

 

~本日の予定~

①第759回献謡祭 午後1時~

 

~明日の予定~

①特にありません

 

~明後日の予定~

①末吉、お休みです

コメント / トラックバック2件

  1. S より:

    末吉様のすばらしいコメントに
    関し、今月3月7日の愛媛新聞に
    西原村幸地で見つかった遺骨のDNA鑑定
    を行なうとの記事が掲載されました。
    愛媛や北海道出身者も含まれるそうです。
    この記事、どなたも余り紹介していませんので
    以下に愛媛新聞に掲載された
    沖縄の琉球新報の記事を
    紹介しておきます。

    “戦後”はまだまだ終わってなんかいません。

    http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203628-storytopic-1.html

  2. 末吉 より:

    S様
     
    こんにちは。
    大変ご無沙汰しておりますが、
    お変わりありませんか?
     
    西原村幸地の記事、
    末吉も拝見させて頂きました。
    戦後68年、
    今の沖縄の現状をしっかりと受け止めなければなりません。

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