こんにちは、末吉です(⌒▽⌒)
本日は、
『万灯みたままつり』
最終日です
最終的には、1220灯ものご献灯をいただき、
夜間7時から9時のあいだ点灯をしています。。
まだご覧になっていない方は、是非ご参拝下さいm(_ _)m
さて、本日8月17日は、
歩兵第二十二聯隊(松山聯隊)軍旗拝受の日です。
『明治19年8月17日、明治天皇の聖論とともに拝受したこの聯隊旗は、
日清、日露の戦役、シベリア出兵、上海事変、支那事変、北満の国境警備等
数度の外征に赫々たる武勲を立て、
昭和20年4月、沖縄に転戦し、
本土防衛の重任にあたりました』
(歩兵第二十二聯隊歴史より一部抜粋)
そして本日、
歩兵第二十二聯隊会愛媛県戦友会慰霊祭が斎行されました。
本日ご参拝いただきました、
白石直之氏とご令嬢様です。
歩兵第二十二聯隊会愛媛県連合会発足当初は2000名を越える会員の方々いました。
しかし、終戦から65年を経過し、
当時現役入隊だった方々でも85歳を越え、
ご参拝いただける方が、ついに一人になってしまいました。
白石氏は、大正6年生まれの満93歳。
終戦時、第24師団司令部副官部に勤務していた陸軍准尉です。
昭和20年6月23日の沖縄陥落時には、軍旗奉焼最後の見届け人でもあり、
その後も勇猛果敢に戦われ、
昭和20年8月15日の終戦の玉音放送も知らず、
昭和20年10月に漸く終戦を迎えられました。
氏は言います。
『探せば、松山聯隊の戦友はまだおいででしょうけどねぇ。
しかし、終戦から65年、本当に長いですよ。
(参拝するものが)最後の一人になってもお参りするのが生き残ったもののつとめだと思ってます。
歩けるうちはお参りしますよ』
(本殿横、忠魂社にて玉串拝礼)
今年は既に2回入院し、つい先日退院したばかりだそうです。
しかし、矍鑠としたそのお姿は、
さすが元帝国軍人!
と、末吉は感服いたしました。。。
『足が少し痛くてねぇ』
と言いながら、手すりに手をかけ、
慰霊碑のある頂上まで、一気に登りました。
ご令嬢様が日傘をさし、労りながら同伴するその姿が非常に印象的でした。
歩兵第二十二聯隊会愛媛県戦友会の慰霊碑は、
境内の一番高い場所にあり、
遠く松山城下一帯を見渡すことができます。
当時の二十二聯隊練兵場ですね。
この場所に慰霊碑を建立する際にも、
大変ご尽力いただいた方のお一人でもあるんです。
昭和20年6月20日
『・・・最後の忠を全うすべし・・・』
氏の所属部隊、
第二十四師団長雨宮巽中将の最後の命令です
それから65年、
時代は昭和から平成へと変わりました
戦争世代から、戦後世代へと移り変わり、
先進国として世界を引っ張る立場となりました。
しかしこれは全て、
『散華されられた英霊の御蔭である』
ことを決して忘れてはいけません。
65年前に受けた雨宮中将の最後の命令を厳守されている
白石直之氏。
その姿を見ていると、
『最後の忠を全うする』
とは、
『感謝の念を持ち続ける』
ことに他ならず、
その任務は
末吉たち次世代へと引き継がれて然るべきであります
本日ご参拝いただきました、
白石直之様、
我が日本国のため、
大切な家族のため、
私たちや、後々の世代のため、
本当に、
本当に良く戦って下さいました。
本当にご苦労様でした。
改めて
感謝申上げます。。。
末吉様 いつも素晴らしいコメント拝見させて頂き感謝しております。
戦争は、二度と有ってはなりませんが、自国は自国で護る普通の国で有りたいですね、今の日本には何かが欠けているのではないですかね・・・?
まことに残念ですね!
二十二連隊会の白石様、ご令嬢様ご苦労様でした。
今後とも、ご健康で戦友のこころをお慰めください宜しくお願いします。
私も、終戦記念日祭には、護國神社にお参りさせて頂きました。
御霊の永久に安らかならんことをお祈りいたします。
遺族の一人様
コメントありがとうございますm(_ _)m
おっしゃるように、自国防衛は独立国家においては必須です。
しかし日本の場合、全てが『玉虫色』であり、憲法に妙な解釈がいる独立国はおそらく日本だけじゃないかと思います。
政府与党にはもう少ししっかりしてほしいものですね。。。
(期待するほうがダメなのかもしれませんがwww)
終戦記念日祭にご参列頂いたとの由、本当に暑い中ありがとうございましたm(_ _)m
ご遺族の方々はもとより、若い方、戦後生まれの方々など、所謂戦争を知らない世代の方々のご参拝が増えてまいりました。非常に喜ばしいことですね。。。
これからも、お近くにこられた際には、是非ご参拝頂き、
いつでも気軽に職員にもお声がけ頂ければと思います。
御霊の篤いご加護がありますことをお祈り申上げます。
まだまだ暑い日が続きますので、呉々もお身体には充分お気をつけ下さいね。。
22聯隊に関するものは一般書店では全く目にすることは
ありません。しかし、古書店やインターネットで比較的入手可能な2冊
を紹介しておきます。
・『22聯隊始末記』客野澄博著 昭和47年 愛媛新聞社刊
本書は著者が愛媛新聞の記者時代、昭和44年から同45年の2年
間に亙り愛媛新聞に連載したものを1冊の本に纏めたもの。
聯隊創立から昭和20年6月に玉砕するまでの歴史を、生存者など
から克明に取材していて、聯隊の戦いの歴史を系統的に纏まったものとしての刊行物は本書以外にないといわれている。
・『天王山―沖縄戦と原子爆弾』ジョージ・ファイファー著 小城正訳
早川書房(上下刊)
著者は米国人の研究家だが、訳者の小城氏は22聯隊が沖縄戦を戦った折、聯隊第一大隊長として玉砕まで第一線で戦って生き残った数少ない生存者のお一人。
沖縄戦における日本側の戦いを、小城氏の体験や22聯隊が昭和19年に満州から沖縄防備のため沖縄に進出してから戦い終結までを詳細に記述している。米国人故に常に米国側の立ち場を肯定する記述や日本側と相容れない考えも書かれているが、22聯隊の沖縄での戦いや、何より殆ど知られていない愛媛県出身の戦いが極めて詳しく記述されている資料的に貴重な一冊である。
この2冊に書かれている事実は、戦争の是非を問う前に、先人たちの生きた歴史、愛媛県人が国を護るために如何なる思いで如何に戦ったかというドキュメントととして、ぜひ巷間に広く読み継がれ、次の世代に語り継いで行きたいものである。
匿名様
コメントありがとうございますm(_ _)m
>戦争の是非を問う前に、先人たちの生きた歴史、愛媛県人が国を護るために如何なる思いで如何に戦ったかというドキュメントととして、ぜひ巷間に広く読み継がれ、次の世代に語り継いで行きたいものである。
今の末吉たち日本人が、絶対に知っていないといけないことなんですよね。。ましてや、郷土部隊のことなら尚更です。。
先人の方々の唯一の足跡なのですから。。。
末吉も、とある方にオススメいただき、どちらも入手いたしました(⌒▽⌒)
まだ少ししか読んでいませんが、この2冊は本当にいい本ですので、県民はもとより、教育現場、一般家庭に至るまで広く知って頂くことを願ってやみません。。。
ご紹介も含め、本当に有難う御座いましたm(_ _)m