愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室
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第二十五回稽古日 11月17日 13時~17時(森光宗芳先生)
第二十六回稽古日 11月18日 10時~15時(江戸宗禮先生)
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女性宮家創設反対のパブリックコメント
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こんにちは。
人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
昨日は11月11日ということで、『ポッキーの日』だったそうです。
ほかにも
『いただきますの日』『麺の日』『サッカーの日』『下駄の日』『電池の日』などなど、
いろんな記念日だったようです。
そんな中当社では、七五三の参拝で境内が賑わっておりました。
さて、週をまたぎましたが、大分旅行の続きです(⌒▽⌒)
大分縣護國神社では参拝を通し、
本当にいろいろと勉強させて頂きました。
重ね重ねになりますが、
末吉のような一介の神職に過分なるおもてなしを頂戴し、
只管感謝するばかりであります。
本当に有難うございました。
名残惜しくも大分縣護國神社を後に、
松栄山を下り大分市内へと向かいました。
次に、
大分市上野丘というところにナビをセットし、
車を走らせること約15分。
そこには『大分予科練資料館』と書かれた家がありました。
資料館に行くとは聞いていたのですが・・・家?
お聞きすると、
この資料館は
元予科練乙飛十八期、
攻撃第五飛行隊第七御楯隊流星隊員だった
川野喜一様が自宅を改装し、
昭和六十三年八月十四日に開館した
『大分予科練資料館』だったのです。
実は、川野館長様には、
今回の大分縣護國神社の参拝にもご一緒頂きました。
そもそも予科練とは、
『海軍飛行予科練習生』というのが正式名称であり、
大日本帝国海軍の少年飛行兵のことです。
その説明は、
予科練資料館のホームページにも詳しく書いてありますので、
是非ご覧ください。
予科練資料館ホームページはコチラ
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さて、
資料館に到着すると、
入り口にこのような立派な碑が。。。
そして、
説明書きもありました。
その碑を読むと、
この地に資料館ができることを熟望されていたことがよくわかります。
さらにその横には、
零戦のエンジン付プロペラが!!!
こちらにもちゃんと説明書きがあります。
その向かい側にもう一つ!
とにかく、入館前からびっくり!
ちなみに、
これって、当社にあるものと同型じゃないんかなぁ?
なんて思っていると、
『どうぞ、中へお進みください!』
と館長様のお声が。。。
急がず慌てず、
心を落ち着けて中に入って、
さらに度肝を抜かれました!!!
予科練に関するものをはじめ、
英霊の遺品、遺書、遺影、
軍服、道具、兵器などなど・・・
大東亜戦争にまつわるものが所狭しと展示してあるではないですか!
奥に進むと、
さらにいろいろなものが!!!
たとえば、
これは海軍航空隊の海軍時計。
こちらは、
二十ミリ砲弾。
こちらには、九九式小銃。
しかもこれ、菊の紋章がそのまま入っているんです!
さらには超貴重な、零戦の電信機まで!!!
これ、音もでるんですよ!
靖國神社の遊就館にもないような
当時のものがあちこちにあって、
末吉、とにかく驚くばかりでした。
川野館長様に
なぜこの資料館をお作りになられたのかお聞きすると、
資料館のパンフレットを頂戴し、ここを読んでみてくださいと言われました。
その一部を抜粋致します。
『予科練戦没者の遺徳を後世に正しく伝え、この悲惨な戦争を二度と繰り返さないと同時に、遺書や遺品、予科練にかんする資料を一同に集め、その供養、また多くの方々に観て頂き、現在の心のすさんだ世の中が少しでも良くなることを願い、次代をになう青少年の育成に役立てば、世界の恒久平和を希求し散華された、多くの同窓の御霊も必ず喜んでくれるものと思い、此処に予科練資料館を作る』
戦後67年が過ぎ、
大東亜戦争を体験された方々も日を追うごとに減っている昨今、
後世に託されるその思いが伝わってまいります。
今回、
友人のお誘いを頂き、
少ない時間で多くのことを勉強させて頂きました。
日々のご奉仕に怠慢になることなく、
多くの方々の様々な思いがあることを、
決して忘れないよう心に刻みつつ、
フェリーに乗り込みました。。。
大分縣護國神社ホームページ→http://www.oita-gokoku.jp/
大分予科練記念館ホームページ→http://www.yokaren.net/
追記
駄文にてうまく書けませんでしたが、
今回の旅行で出会った皆様方、
この場を借りまして、
心から感謝申し上げます。
有難うございました。
~本日の予定~
①特にありません
~明日の予定~
①青森県遺族連合会正式参拝 午前10時45分~
~明後日の予定~
①末吉、お休みです