末吉、新たに知ったことを話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年8月23日 木曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第十五回稽古日 8月25日 13時~17時(森光宗芳先生)

第十六回稽古日 8月26日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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おはようございます。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日は

二十四節季の一つ、処暑(しょしょ)。

暑気がやむ日です。

そう言われると、朝晩が確実に変わってきましたね。

この時期、

ヒグラシの声を聴くと、

夏の始まりを思いだし、確実におセンチになりますねw

 

さて、

いつも読んでくださってるS様から、

とても勉強になるコメントが届きましたのでご紹介いたします。

恥ずかしながら末吉も初めて知ったことであります。

以下、添付です。

 

昨日は、誠にご丁寧で温かいまたお気遣いのある
ご返信を頂戴し有難うございました。

ついでで恐縮ですが、樋口陸軍中将について、
素晴らしいご事績を一つ紹介しておきます。
(ご存知の方も多いと思いますが)

樋口中将はユダヤ人を救った恩人として、
イスラエル、世界のユダヤ社会にとって
著名な人として知られている日本人です。
ユダヤ人救出で有名なのは杉原さんという元外交官で
以前ドラマにもなり、マスコミでも伝えられましたが、
どういうわけか樋口中将のことは殆ど知られていません。

昭和13年3月、ドイツから逃れ満州国に
助けを求めにきたユダヤ人約2万人(人数は諸説様々有)が、
ソ満国境のオトポールというところに来ましたが、
満州国が入国を拒否、身動き取れず寒さや飢餓で立ち往生します。
この窮状を様々なルートから知った当時ハルビン特務機関長であった樋口中将は(当時は少将)は、
ハルピンに受け入れることを決断し実行します。
収容されたユダヤ人はハルピンから他の国に
脱出して難を救われます。
第二次大戦後、イスラエルが建国されると、
ユダヤ民族に貢献した人を永久に顕彰するために、
エルサレムに「黄金の碑」
(ゴールデン・ブック)が建立され、
そこに日本軍人の樋口季一郎の名が刻まれます。

占守島などで手痛い打撃を受けたソ連軍は、
日本軍の最高責任者であった樋口中将を戦犯として
ソ連に引き渡すように連合軍総司令部に求めますが、
マッカーサー総司令部は直ちに拒否、
擁護の立場を明確にします。
その背景には、ニューヨークに総本部を置く
世界ユダヤ協会の影響が大きく働いたといわれています。
オトポールはじめユダヤ人と樋口中将との詳細は、
樋口中将と生前懇意で直接取材をした
作家の相良俊輔氏が
『流氷の海―ある軍司令官の決断』(光人社刊)として
刊行していますので併せて是非お読み下さい。
有難うございました。

 

戊辰の役以降、

多くの将兵の方々が奮戦、活躍され、散華されました。

しかしながら、戦後教育やGHQ占領政策(それだけではないですがw)によって

悉くそのことが蔑ろにされ、

ややもすれば、米国や英国と戦争をしたことすら知らない国民もいると聞きます。

 

歴史を紐解けば、

末吉たち日本人の御祖先様は、

異国の地で多大な功績を残された方々ばかりなのです。

もっとその事実を知り、

もっとそのことを学ばなければなりません。

 

S様、本当にありがとうございました。

 

 

~本日の予定~

①処暑(二十四節季)

   

~明日の予定~

①末吉、お休みです

        

~明後日の予定~

①第十五回稽古日 8月25日 13時~17時(森光宗芳先生)

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