愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室
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初回稽古日 5月12日 13時~17時(森光宗芳先生)
第二回稽古日 5月13日 10時~15時(江戸宗禮先生)
中国版マナー本が支那国内でベストセラーになっているそうだ。
その一部を日刊SPA!が紹介していた。(以下、日刊SPA!添付http://nikkan-spa.jp/195770)
上海でベストセラーとなっている若者向けのマナー本『别说你懂职场礼仪』。日本語に訳すと「それでビジネスマナーを知ってるつもり?」的なニュアンスになるのだが、まあ、これが大層、おもしろい。 序章で、『兴于诗,立于礼,成于乐』(詩に興り、礼に立ち、楽に成る)、『不学礼、無以立』(礼を学ばざれば、以て立つこと無し)といった『論語』の一説を引用。礼儀の大切さを説きつつ、初対面の人との挨拶やお茶の出し方など、具体的に○×でマナーを説いているわけだが……。
例えば、名刺交換。
「名刺の名前を相手のほうへ向ける」「両手で渡す」「名刺交換する際、自分の手は相手より下に」なんてのは、日本でも真っ先に教えられる基本の動き。が、それだけでは終わらないのがかの国で。「名刺をズボンのポケットにいれてはいけません。」「名刺をもてあそんではいけません。」etc.……。
【画像】はコチラ⇒http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=195776
その他、「人を紹介するときに指を刺さない」「握手するときに手の平を下に向けない」など、思わず「そっからかよっ!」と突っ込みたくなるご指南が満載。
横行闊歩だといわれるお国柄が変わるのには、悠久の時が必要か? <取材・文/小山武蔵>
これだけでも、世界に通ずる常識のなさが見て取れる。
極東アジア情勢が日々緊迫化している中にあって、あれこれ自己中心的な主張を繰り返す前に、先ずは自国内のマナー向上から始めてもらいたいものだ。これでよく『常任理事国』の一国が務まるものだと不思議でならない。
こんにちは、
人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
本日の慰霊祭は『愛媛甲飛会』の皆様方です。
午前11時からの斎行でした。
振り返れば、昨年の慰霊祭での出来事。
末吉 『あのぉ~、甲飛会の正式名称は何と言うのでしょうか?』
甲飛会の方1 『甲種の豫科練ですよ。』
甲飛会の方2 『ちがうちがう!正式には、海軍がつくんじゃ!』
甲飛会の方3 『ちがうじゃろ!元海軍じゃ!』
甲飛会の方4 『それを言うなら、元大日本帝国海軍じゃろが!』
甲飛会の方5 『そこからなら、ちゃんと教えんといけまいが!』
だんだん収拾がつかなくなってきて、最終的には、
甲飛会事務局の方 『元大日本帝国海軍甲種飛行豫科練習生です』
それでも、慰霊祭中、あちこちで火種がくすぶる・・・くすぶる・・・。
発端が末吉の発言からだっただけに、
なんとも申し訳ないような・・・
でも、懇親会になると、
みなさん、手と手を取り合い、
また来年も参拝しようと誓い合って別れておられました。
あれから一年。
♪若い血潮の豫科練の~七つボタンは櫻に錨~♪
知る人ぞ知る、「若鷲の歌」(通称 豫科練の歌)を口ずさみながら、
今年も『昔若鷲』がご参拝下さいました。
甲飛会の人1 『昔は300人以上いたが、いまじゃ36人になってしもうたわい』
甲飛会の人2 『いやぁ、もうちょっとおったじゃろう』
甲飛会事務局の方 『300人以上、現在約30名です』
今年もあれこれ言いながら、定刻となりました。
修祓、祝詞奏上の後、
玉串拝礼は、
藪 福雄(やぶ ふくお)会長様の代行で、
戸板スナオ様(漢字をお聞きすることができませんでしたw)
そのあと、
全員で『海ゆかば』を斉唱、御奉納致しました。
もちろん末吉たち神職も一緒に斉唱致しました。
慰霊祭が終わる頃になると、
降っていた雨も上がるほどになりました。
最後に、本日の参拝者全員で記念写真。
『来年は何人参拝できるかなぁ~・・・』
遠くを見つめながらそうつぶやかれた声が聞こえたとき、
少し切ない気持ちになりました。
でも、末吉は、
来年も皆様おそろいでご参拝頂けることを、
英霊とともにお待ち申し上げております。
本日のご参拝、
本当にありがとうございました。
~本日の予定~
①愛媛甲飛会慰霊祭 午前11時~
~明日の予定~
①末吉、お休みです。
~明後日の予定~
①和霊神社春季大祭 午前10時~
本日の”神社だより”涙が出そうでした。
身近に戦没者はいませんが、5歳まで呉市に在住、
父が海軍工廠に勤務していて、原爆投下の記憶の後終戦、
郷里に帰省、最近まで戦艦大和の写真、文鎮がありました。
父の存命中にこのような機会に参拝させてあげれば、
良かったのに残念でなりません。
本日のご参拝者の皆様が長生きをされますように、
心からお祈りしています。
末吉さん 素直な良い文章になりましたね。
タツノオトシゴ様
おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
呉工廠のことは末吉も祖父からいろいろ聞きました。
もし御尊父様がご健在であれば、もっと末吉もお話がお伺いできたのにと、生まれた時代が遅かったことを悔やみますw
愛媛甲飛会の皆様方があれこれいいながら、最後はお互いの健勝を祈るその姿は、英霊を偲び、当時を想い、思い出に触れることができる唯一の時間であり、まるで子供のようにさえみえます。
青春真っ只中を戦争という時代に生き、復員されたからこそ、その当時に思いを馳せるとそうなるのでしょうね。
自然の摂理とはいえ、
年々会員の皆様方、ご遺族の方々が少なくなっていくのは、非常に残念なことです。
だからこそ、
当時のことをお聞きし、それを次の世代に語り継がなくてはならないと・・・それが末吉たちの使命であると思っております。
お褒め頂くにはまだまだ未熟者ですので、
今後ともご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。