末吉、『ミレー島戦記』をちょっと話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年2月8日 水曜日

昨日2月7日は『北方領土の日』。

総理は

『強い意志でロシアとの交渉を粘り強く進めていく』

と決意を表明したそうだ(本日付産経一面)

毎回、何かあるたびに、

『強い意志で云々』

と言っているのだが、

その決意はいかばかりか・・・。

恩師曰く、

『うどん屋の釜になってはいかん!=湯だけ(言うだけ)』

うどん屋どころか、そのスケールは、

さしあたって

『風呂屋の釜』といったところだろうか・・・。

 

おはようございます。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

三寒四温とはよく言ったもので、

春の足音が少しずつ聞こえてきてますね。

 

境内を巡視していると、

桜や梅の蕾も、少し膨らんできたような気がします。

 

境内の一番奥にあるのが、

歩兵第一二二聯隊南洋第一支隊忠魂碑です。

(『境内案内』左上にカーソルを合わせてみてください)

     ↓     ↓    ↓

http://www.gokoku.org/contents/guide.html

ここ数日、

境内巡視のときによく足を止めます。

 

昨日、マーシャル群島について少し触れましたが、

この部隊こそ、そのマーシャルに従軍した県内部隊です。

 

末吉の自宅に一冊の本があります。

『マーシャル群島 ミレー島戦記』

当時、一二二聯隊曹長として従軍していた、神森繁国氏が書いたもので、

末吉の祖父と深い関係があるそうです。

発刊にあたっては、

松山市緑町の和光幼稚園先代園長藤田福助氏(同部隊にて従軍)や、

多くの方々のご尽力もあり苦労して発刊したそうです。

 

当時の日記を本にしたものですが、

空襲で焼けた部分を除いて、ほぼ毎日のことが記してあります。

 

大日本帝国陸軍兵士として、

いかに戦うか・・・

いや、

いかに生きるか・・・

 

遥か遠く離れた南冥の孤島で、

生きるために二つの戦いをしなければならなかった・・・

それがどういう意味なのか、一読頂ければすぐにわかります。

 

従軍された方々が日を追うごとに少なくなってきた昨今、

もう少し早く末吉が生まれていたら、

このような本に出会ったときに

もっといろいろな話を聞くことができたのに・・・と、

どうしようもないことを考えつつ、

今日も英霊に想いをはせながら、

ご奉仕、がんばります!

 

 

~本日の予定~

①大安です

  

~明日の予定~

①末吉、お休みです

  

~明後日の予定~

①建國記念日祭準備

コメント / トラックバック2件

  1. 北条ヒロシ より:

    66年前、遥か南方の島で猛爆にさらされ、多くの餓死者を出し、それでも最後は勝つと信じて戦った兵士。
    貴重な真実の記録を次世代に伝えることが必要だと思います。

  2. 末吉 より:

    北条ヒロシ様
     
    いつもコメントありがとうございます。
     
    そうですね、
    事実は事実として
    ありのままを後世に伝えることが大切ですね。
    このような体験記や日記は、
    多くの方々、
    特に若い世代の方々に読んでもらいたいですね。

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