末吉、読んでほしいと語る
カテゴリー: 護國日誌
2011年12月5日 月曜日

『元気な日本をとりもどそう!』

 

 

こんにちは、

『人生楽笑』末吉です(⌒▽⌒)

 

今日は非常にいいお天気ですね。

さきほど境内を巡視したとき、

紅葉したもみじやいちょうにカメラを向けている参拝者の方々がいました。

漸く紅葉だなぁ~なんて思っていると、

もう年末なんですよねw

 

さて、

昨日、いつもコメントを下さるS様から、

末吉の言葉を代弁し、

かつ、非常に知的なことまで触れていただいた、

皆様へのメッセージが届いておりますので、

折角ですから記事にしたいと思います。

 

以下、原文のままですので、

是非お読み下さい。 

 

 

皆様方へ。度々恐縮です。
今年の東日本大震災では、世界各国のメディアが、震災への日本人の生き方や姿勢や佇まいなどを高く評価し讃えました。しかし、日露戦争に勝利した日本及び日本人への高い評価は、それに比べることができないほどの世界各国の政治家はじめ様々な分野での指導者―米国のルーズベルト、中国の孫文、インドのタゴール、ビルマのバー・モウ、ベトナムのファン・ボイ・チャウなど―の著名人のみならず、一般の人々にも及びました。
『日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀』(芙蓉書房)には、そうした事実が当時のその国の文献や内外の研究資料から紹介されています。末吉様も読まれた『肉弾』とあわせて、歴史を知らない一般の人々への啓発的資料としてご活用下さい、またお知り合いの方にぜひお奨めいただくよう切に切にお願いします。

今回の「坂の上の雲」の放映は、心情的にも一時的な感動で終わるのでもなく、関心も一過性のものではなく、日露戦争に関する本物の客観的史実を知る、ひとつの大きな契機、出発点になるよう切望します。「本物の客観的史実」とは、単なる知識上の事実や無機的なものではなく、人の魂を根底から揺さぶるものであると私は確信しています。この両書が、必ずこの目的に大いに資するに違いありません。

最後に、『日露戦争が変えた世界史』で著者が最後の結びとして紹介している詩をご紹介します。これはマレーシアの元上院議員で、戦前に南方特別留学生として来日し、陸軍士官学校と東京大学を卒業した、ラジャー・ダト・ノンチック氏の詩です。

かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切でこころ豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことように、一生懸命つくしてくれた。
何千万人もの人のなかには少しは変な人もいたし
おこりんぼや、わがままな人もいた。
自分の考えをおしつけて、いばってばかりいる人だって、
いなかったわけじゃない・
でもその頃の日本人は、そんな少しのいやなことや
不愉快さを越えて、おおらかでまじめで、希望に満ちて明るかった。

戦後の日本人は自分たち日本人のことを、悪者だと思い込まされた。
学校でもジャーナリズムも、そうだとしか教えなかったから
まじめに、自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと思っているようだ。
だからアジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと、言えばよいと思っている。

本当にどうなってしまったんだろう。
日本人はそんなはずじゃなかったのに。
本当の日本人を知っているわたしたちは、
今はいつも歯がゆくて、悔しい思いがする。

自分のことや、自分の会社の利益ばかり考えて、
こせこせと、身勝手な行動ばかりしている。
ヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。
自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみや、
ぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている、その国と国民のことを
さげすんだ眼でみたり、バカにしたりする。
こんなひとたちと、本当に仲よくして行けるだろうか。
どうして、どうして日本人は、こんなになってしまたんだ。

*著者の平間氏は、まだ松山で今のように“「坂之上の雲」ブーム”もなく、日露戦争に人々の関心を必ずしも高くなかった平成14年か15年?の12月23日の今上陛下のお誕生日をお祝いする集いで、松山で講演された記憶があります。主催は確か日本会議愛媛県本部でした。

 

S様、コメントありがとうございました。

 

 

~今日の予定~

 ①愛媛県神社庁松山支部役員会

   

~明日の予定~

 ①何もありません

   

~明後日の予定~

 ①大安です

 ②大雪です

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