末吉、写真を見て思う2
カテゴリー: 護國日誌
2010年7月15日 木曜日

おはようございます、末吉です(⌒▽⌒)

ようやく『梅雨明け』という言葉がチラホラと聞こえてくるようになりましたねぇε=(。・д・。)フー

 

さて、過去の写真の中からもう一枚ご紹介しましょう

昨日と同日の平成18年7月14日の写真です

 (殉職女子学徒追憶之碑補修工事)

境内には20基を超える慰霊碑がありますが、

昭和26年11月、愛媛県立松山城北高等女学校同窓生有志の方々により、一番最初に建立されたのがこの「殉職女子学徒追憶之碑」です

現在の愛媛県立松山北高等学校と言ったほうがわかりやすいですかね?

その諸先輩方のお話ですよ。。。

 

戦時中、今治市の軍事工場に勤労奉仕に行かれ、

8月5日未明、今治大空襲で24柱が御祭神となられました

現在でも慰霊碑建立のために尽力された方々が、毎月清掃奉仕にこられています

そしてそれらの方々が、だんだん古くなりゆく慰霊碑を見て、

「同級生の慰霊のために綺麗にしてあげないと・・・」

と、慰霊碑の補修をされたのです

 (平成22年春の慰霊碑)

 

勉強はそこそこに、毎日バカ騒ぎをしてよく怒られた末吉の青春時代。

皆さんも覚えがありませんか?

社会のことなど全く気にせず、ただ自分たちが楽しけりゃいいと思っていたあの頃。

そして気の合う仲間同士で、いろんな経験をしましたよね。

しかし、その一番謳歌しなければならない頃が戦時中だったんです。

 

現在、清掃奉仕のたびに御本殿にお参りされる城北高女の方々はいつも笑顔が絶えません

むしろ

「来たよ~、今日は何の話をしようか?」

と話し合いをしているようにさえ見えます

 

戦場だけでなく、銃後の方々も大変なご苦労をなされたんだと思うと同時に

私たちの責務の重さを改めて痛感した写真でした

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