末吉、栄光の軍旗に思う(3)
カテゴリー: 護國日誌
2011年6月24日 金曜日

『祈  復興!東日本』

 

 

 

こんにちは、末吉です。。。

 

 

 

沖縄戦に関しては、

種々論争が繰り返されております。

それらは別次元として、 

官民揃って本土防衛に尽力されたことは、

日本人として誇りにしなければなりません。

 

最後に、みなさんご存知のあの電文をご紹介し、

栄光の軍旗とともに、

歩兵第二二聯隊をはじめ、

沖縄戦にて散華された方々に対し、

慰霊顕彰の誠を捧げるべく、

御神前にて最敬礼させて頂きます。

 

 

※あるサイトから抜粋いたしました。 

昭和20年6月6日夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、海軍次官あてに次のように打電しました。
 (文中の□□は、不明部分です。)
 ~海軍陸戦隊 大田 実 司令官の電文~

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ラザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノ□□ニ中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ□□真面目ニシテ一時ノ感情ニ駈ラレタルモノトハ思ハレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要スルニ陸海軍□□沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

コメント / トラックバック2件

  1. 北条ヒロシ より:

    沖縄守備隊長・太田司令官の心中察察してあまりあります。
    自決覚悟の電文も鬼気迫るものがあり、6月23日に太田司令官自決で沖縄戦終了です。

  2. 末吉 より:

    北条ヒロシ様
     
    ただ只管、合掌するのみであります。
    末吉の大叔父も沖縄で戦死しました。
    松山聯隊玉砕、
    沖縄玉砕を思うとき、
    今の平和な生活が、
    いかに有難いことか・・・
    感謝せずにはいられません。

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