こんにちは。
人生楽笑(じんせいらくしょう)
末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ
『敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花』
本居宣長の日本を詠ったものです。
この中から
敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊
という四隊が創設されたのが
七十三年前の昨日。
それ以後、終戦まで特攻が繰り返し行われました。
このことについては幾度も書いていますが、
当時の司令官だった大西瀧治郎海軍中将は
『わが声価は棺を覆うて定まらず、百年の後、また知己なからんとす。』
と語ったそうです。
訳すると
『百年経っても自分がなぜそうしたかは理解できないだろう。』
という意味になります。
『特攻は統率の外道』
そいう仰られた大西閣下、
何を思われて特攻を許可されたのでしょう?
答えは見つかるものではないですが
末吉、
ずっと考え続けています。