末吉、ずっと思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年10月21日 土曜日

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

『敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花』

本居宣長の日本を詠ったものです。

この中から

敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊

という四隊が創設されたのが

七十三年前の昨日。

それ以後、終戦まで特攻が繰り返し行われました。

 

このことについては幾度も書いていますが、

当時の司令官だった大西瀧治郎海軍中将は

『わが声価は棺を覆うて定まらず、百年の後、また知己なからんとす。』

と語ったそうです。

訳すると

『百年経っても自分がなぜそうしたかは理解できないだろう。』

という意味になります。

 

『特攻は統率の外道』

そいう仰られた大西閣下、

何を思われて特攻を許可されたのでしょう?

 

答えは見つかるものではないですが

末吉、

ずっと考え続けています。

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