末吉、沖縄戦終結の日に思う
カテゴリー: 護國日誌
2017年6月23日 金曜日

こんにちは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)ですヾ(@^▽^@)ノ

 

今日は沖縄戦終結の日。

地方紙にどのような記事が書かれているのか

朝一番で熟読しました・・・・・が、

残念ながら、

一面記事は

東京都議選の告示や

道後温泉本館修復

愛媛国体のことでした。

 

沖縄戦については

当社に縁の深い方が書かれた

『沖縄特攻を見送った』

という記事が投稿欄にあり、

大変嬉しく思いました。

 

また、

当社の御祭神で

昭和十六年十二月八日日米開戦の日に

空母飛龍から飛び立ち攻撃に参加した

今治市御出身の西開地重徳命の遺品が

弟様に返還されたという嬉しい記事も。

 

しかし、

沖縄戦に関して、

当時の様子や

郷土連隊が沖縄で奮戦されたこと、

そして終焉を迎えたこと、

本土や沖縄を守るために

愛媛県の方々がどれほど尽力されたか

そのようなことは皆無でした。

 

畏くも天皇陛下におかせられましては、

昭和五十六年八月七日皇太子殿下であらせられた当時、

記者会見の中で、

日本人として忘れてはならない四つの日として

八月十五日終戦の日

八月六日広島原爆投下の日

八月九日長崎原爆投下の日

そして

六月二十三日沖縄戦終結の日

を挙げられました。

 

沖縄県体育協会のホームページによると

その沿革の中に

『昭和27年国民体育大会に初参加。米国の施政権下にあって、第7回国民体育大会(福島県・宮城県・山形県開催)に初めて沖縄選手団11名(陸上競技)が参加した。祖国日本から分離された状況の中において、国体参加の意義は極めて大きく、それを契機にスポーツの振興は飛躍的に進展した。』(財団法人沖縄県体育協会HPより抜粋)

と書かれています。

その翌年の昭和二十八年には、

第八回国民体育大会が愛媛県で開催され

全国四十七都道府県の方々がその技を競い合いました。

 

それから六十四年。

畏くも天皇皇后両陛下の行幸啓、御臨席を仰ぎ

開催される予定の愛媛国体までちょうど百日。

 

天皇陛下が平成二十四年のお誕生日に際し

『~前略~沖縄は,いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が,皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども,段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり,これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは,日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています。』(宮内庁HPより抜粋)

このように述べられました。

 

そのことを

日本人一人ひとりがしっかりと受け止め

沖縄戦で奮戦し

散華された約二十万人の方々に

只々感謝と安鎮を願って戴ければと思います。

 

御神前を通し拝礼、

並びに沖縄方面にむけ遥拝。

 

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