末吉、対馬丸の日に思う
カテゴリー: 護國日誌
2016年8月22日 月曜日

こんにちは。

たゆたえども沈まぬ

人生楽笑(じんせいらくしょう)

末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

本日の靖國暦には、

『沖縄からの疎開船対馬丸、悪石島近海で米潜水艦の魚雷攻撃を受け学童七百名を含む千五百名海歿(昭和十九年)』

とあります。

 

昭和十九年七月七日、サイパン島では将兵、住民が玉砕するという悲惨な結果となったため、

沖縄では、学童を含む県民十万人の本土、台湾への疎開が政府の命令によって決定しました。

しかし当初は、疎開希望者はなかなか集まらず、

半ば強制的に疎開させる命令がでていました。

そんな中、

昭和十九年の今日、

対馬丸が疎開学童を乗せ航行中、

米潜水艦ボーフィンの魚雷攻撃を受け、

乗員乗客千四百七十六名が海歿、生存はわずか五十九名という惨事がおきました。

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この事件には緘口令が布かれましたが、

疎開先から来るはずの手紙が来ない事などから、

たちまち皆の知るところとなり、疎開に対する反発があったそうですが、

昭和十九年十月十日の所謂十・十空襲の後は疎開者が相次いだそうです。

 

後のことはともかく、

非戦闘員に対する無差別な攻撃は

国際法違反であり、

しかもこの攻撃を行った米潜水艦ボーフィン号は

暗号も解読しており対馬丸の航路もわかっていたそうです。

 

嗚呼、戦争とはなんと無慈悲なのでしょう。

 

今日の平和の裏には

そのような悲劇があったことを

我々は知っておかねばなりません。

 

 

~本日の予定~

①特にありません。

~明日の予定~

①特にありません。

~明後日の予定~

①末吉、出張です(更新できませんw)

 

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