こんにちは。
たゆたえども沈まぬ
人生楽笑(じんせいらくしょう)
末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
末吉がまだ子供のころは
道後に動物園がありました。
昭和二十三年に現在の湯築城後に設立されました。
しかし、よりよい自然環境での飼育をおこなったり施設の拡張が困難になったため
昭和六十三年に砥部町に移設。
湯築城跡は
道後温泉のすぐ近くということもあり、
多くの観光客が足を運ぶ場所に変わりました。
松山市のホームページによると
湯築城跡=湯築城は、風早郡河野郷から出た、伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮枕を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。
昭和63年(1988年)から12年間の発掘調査で明らかとなった溝や土塀の遺構、輸入陶磁器等の出土品も含めて、全国でも極めて重要な中世守護の城跡遺跡である。
と記載されています。
そんな中、
ちょっと話題になっている出土品がコチラ。
そう、
猫の足跡がついた土器。
きっと
こんな感じで
焼き物作るときにドヤ顔で歩いたんでしょうね。
それを怒鳴りながら追いかける作者・・・( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
どこでもありそうな光景が目に浮かびます。
ちょっと微笑ましい出土品を知って紹介してみました。
ちなみに、
当社から湯築城跡まで
徒歩二十分くらいですよ。
~今日の予定~
①シベリアを語る会慰霊祭 午前9時30分
~明日の予定~
①中旬祭(神社祭事)
~明後日の予定~
①特にありません