『祈 復興!東日本』
こんにちは、末吉です。。。
今日の記事は、注意をよく読んでから、お読み下さい。
注意① 今日は、絶対、最後まで読んでください。
注意② 今日は、必ず、最後まで読んでください。
先ず、
藤袴様、七草様へ。
ご報告が大変遅くなり、申し訳ございません。
実は、ずっと迷っておりました。
記事にしようかどうしようか、
本当に、迷っておりました。
全てを日誌に書いてしまうのはどうか・・・
判断つきかねる部分もあり、
今も、正直迷っております。
しかし、
やはりこのようなご夫婦がいるんだということを・・・
皆さんに知っていただきたく・・・
皆さんに覚えておいていただきたく思い・・・
ありのまま、正直にその日のことを書かせていただきます。
なんだかんだで『護國日誌』も早くも10ヶ月になろうとしていました。
その間、多くの方にコメントをいただき、
叱咤激励を頂戴しております。
半年ほど前、
よくコメントを頂いておりましたのが、
秋の七草様、
そして、続いて、ご主人様の、藤袴様です。。。
あるときを境に、
急にコメントがなくなり、
ちょっと心配しておりました。。。
そもそも『護國日誌』の目的は、
①英霊のことを正しく理解していただく
②神社の祭祀、行事を多くの方々に知っていただく
③参拝だけではわからない神社の出来事を知っていただく
そのため、
一般目線で、わかりやすくご報告することを心がけ、
たまには息抜きのような記事を書いたり(サボリも多いですがwww)
面白おかしく書いたりと、
とにかく、興味を持っていただけるよう努めております。
『ふざけすぎている!』
『神社のブログとしては相応しくない!』
『真面目に書け!』
『個人のブログじゃないんだから!』
などなど、
お怒りのお言葉も直接、間接的に耳にしております。。。
まぁ、打たれ強い末吉は、
改善、改善と思っておりましたが、、、
そんなとき、とある方から、
『公私混同も甚だしい、顔文字、絵文字は読みにくい。
毎日更新しなくていいから、真面目な記事を書け!』
などとかなり厳しい口調でのご指摘があり、
『じゃあもう止めます・・・春秋の大祭以外の更新だけにします』
それを受け、上司にそう訴え、神様に誓った、
まさにその日、、、
4月8日、大祭前々日でした。
郵便受に一通の封書が入っていました。
宛名もない・・・
名前もない・・・
?????????
だれだろう???
まさか!!
隠れファン??(こういうのがいけないんでしょうねwww)
開封し、
読んでいくうちに、
止め処もなく涙が溢れてきました。。。
職員に悟られまいと、
誰も居ない部屋に行き、
改めて読み返し、
また涙しました。
そして、その手紙を読み終えたとき、
『神様、すいません、前言撤回致します。
絶対やめない!
護國日誌は絶対やめない!!
批判ばかりになってもいいです、
誰も読んでくれなくてもいいです、
絶対やめませんから!』
そう固く誓いました。
藤袴様、
許可なくお手紙を掲載することをお許し下さい。
以下、全文です(原文のまま)
御無沙汰をしております。 藤袴です。
末吉殿、先ずは、永い間御無沙汰を致しました事、お詫び申上げます。
昨年、末吉殿の護國日誌に投稿させて頂いてからもう、半年になりますね。
あの頃、七草は、まだ元気にしておりました。
昨年10月11日を以て、七草は、天国に召されました。
医師からは、良く持って、3ヶ月、と、言われてました。
医師の宣告から悠に、6ヶ月持ちました。
医師も、驚いていました。 是なら、薬が効いて良くなる。
そう、言って呉れたのに、九月の末に緊急入院、そのまま、入院となり
翌11日に亡くなりました。
寂しかったです。 来る日も、来る日も、泣きました。
余、泣くと七に叱れます。
末吉殿、私も、もう、長くありません。
此の文章も、看護士さんに頼んで打ってもらいました。
この身が、終わるまで、後、少し。
是で、やっと、七草に逢えます。
最近、良く、七がきます。
私は、末期の肝臓癌です。 遅かったのです。
気がついた時には、全身に転移、医師には、今月までと、告知を受けています。
身寄りが居ない、私には、七だけでした。
末吉殿、色々、ご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした。
どうか、末吉殿も、愛媛縣護國神社の皆さま、御身体に気を付けてお仕事を頑張ってください。
末吉殿、有難う、そして、さようなら。 2011年3月30日 藤袴
末吉様へ
このお手間が、大変遅くなった事をお詫び申しあげます。
藤袴様よりお預かりしていました。
早く、お届けをと思って居りましたのに遅れたことをお詫びいたします。
藤袴様は、四日の日に奥様の元へと旅立たれました。
本来なら、今月までと、医師も言っていましたのに、容態が急変し帰らぬ人と成ってしまいました。
生前の藤袴様は、入院以来、いつも、いつも、奥様の事や、末吉様の事を良く話されていました。
最後は、医師、看護師に看取られ笑顔で、旅立ちました。
最後のお言葉は、「七、愛してるよ」 でした。
私達は、皆、涙で、大変でした。
肉親は、居ないとの事、菩提寺の住職さんと、共に六日に故郷に帰られました事を、末吉様に、お伝え致します。
2011年平成23年4月7日 看護師
柏木
今、こうして記事にしている間にも、
涙がでそうなのを、グッとこらえています。
藤袴様が愛した、七草様。
その純愛に感動し、憧れるとともに、
本当にひょんなことから『護國日誌』を読んで頂き、
最後の最後まで末吉のようなものにまで気遣いを頂戴し、
万感胸に迫ります。
藤袴様、
七草様、
今頃、お二人、肩を並べて笑いながら、
『護國日誌』を読んでらっしゃるのでしょうね。
大吉に初めて、お頭付きのお魚を頂いたのも、
このお二人でしたね。
(ニボシです。。。)
大吉も元気に、マルマルしてますよ。。。
藤袴様、七草様、
生前の非礼をお許し頂きたく、
そして、
末吉が奉職を続ける限り、、、
護國日誌を続ける限り、、、
いつでも、いつまでも、
コメント、お待ちしております。。。
本当に、
本当に、、
ありがとうございました。。。
安らかにお眠り下さい。。。
追伸
看護師の柏木様、、、
御礼が大変遅くなり、
申し訳御座いませんでした。
本当にありがとうございました。
ご参拝の折には、是非お声がけ下さい。