末吉、本年最後の更新を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年12月29日 土曜日

こんばんは。

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

ギリギリ本日の更新に間に合いました!

 

歳末も押し迫ってまいりましたね。

残すところあと数日。

皆さんはどんな一年でしたか?

そして、

来たる皇紀二千六百六十五年はどんな年になるのか・・・

 

末吉は、

多くの方々が笑顔でいることができる一年であってほしいと願っております。

 

さて、

今年も多くの方々に閲覧を頂き、

多くの方々にコメントを頂戴いたしました。

 

感謝の意を込めて、

改めてご紹介いたします。

 

逐琢様

六時様

みっちぃ。様

北条ヒロシ様

もも様

らん様

清麿様

アヒル様

M氏様

田舎の火消し様

土井家様

國元智衣未様

タツノオトシゴ様

茂木大志様

アール。エ様

匿名様

酔漢です様

鬼の勝負師様

野津様

藤原 茂様

S様

みっし~様

善。様

凛様

山口の爺や様

山口様

玉置 泰様

ロータリークラブ会員 I様

元 支店 長様

参拝者K様

匿名様(各位)

(コメント順)

 

閲覧並びにコメント、

本当に有難うございました。

つたない文章であり、

勉強不足のところも多々ありますが、

こうしてコメントを頂戴し、

また次もがんばろうと励みにさせて頂いております。

 

来年も、

多くの方々に見て頂き、

多くの方々に英霊を知って頂き、

多くの方々にご参拝頂けるきっかけとなるべく、

更新をがんばります!

 

本年最後の更新ですが、

皆様方の益々のご健勝を、

英霊の鎮まります御神前にて御祈念申し上げます。

 

では、

皆様、

よいお年をお迎えください(⌒∇⌒)ノ””

 

 

来年の更新は・・・

1月中旬を予定しておりますので、

またちょこちょこ覗いてみてください

━━━━━(お正月につき、しばらく更新しま線)━━━━━

コメント / トラックバック6件

  1. 北条ヒロシ より:

    一年間の精力的な更新に敬意を表します。
    継続の大切さを教えていただきました。
    東化粧室の完成で一段とお参りしやすくなった愛媛縣護國神社の
    隆盛を祈ります。

  2. 末吉 より:

    北条ヒロシ様
     
    こんにちは。
    いよいよ年の瀬ですね。
    『末吉のお休みと、年末年始以外は更新する!』
    そう自分で決めたルールなので、破るわけにはまりません。
    こうしてコメントを頂戴すると、
    本当に励みになり、
    本当に有難く思います。
    東化粧室、機会がありますときに、
    細部にいたるまでじっくりご覧になってください。

  3. 亜希子ではない。 より:

    先日は大変お世話になりました。
    この名前で気づいてもらえるでしょうか?ヽ(^o^)丿
    はじめての参加でしたが、体調を崩すことなくなんとかやり切ることができました。
    本当に貴重な経験をすることができ、また機会があれば、と思います。
    お仕事ならびに護國日誌の更新、お疲れ様です。
    あの服装で過ごすには厳しすぎる寒さですが、みなさん風邪をひかないようにしてくださいね。

  4. S より:

    最近、金沢市に松山ご出身の
    白川義則陸軍大将を爆殺した尹奉吉の記念館設置の動きがあると、知人からお知らせいただきました。
    白川大将は、上海事変を見事に収束されました。
    松山、愛媛の偉人として、そのご事績は顕彰され
    長く後世に継承されるべき方と思います。

    白川大将のことを今のご時世知らない方も
    いると思いますので、一部の方にはお伝えしましたが
    ご略歴の基本的なこと以下にお伝えします。
    (既にご存知の方にはお詫びします)

    明治元年12月、旧松山藩士の白川親應三男として松山市三番町に生れ、
    勝山小学校を経て、明治23年陸軍士官学校に入学、
    同31年卒業。34年陸軍歩兵少尉。以後累進し
    大正14年に陸軍大将。この間に歩兵第9旅団長、
    陸軍省人事局長、陸軍士官学校長、第1、第11師団長、
    陸軍次官、関東軍司令官、陸軍大臣、軍事参議官等を歴任。
    昭和7年上海事変に際し派遣軍司令官として出征、
    同7年4月29日上海新公園での天長節祝賀会場で
    朝鮮人の尹奉吉の手榴弾により重傷を負う。
    上海兵站病院で加療中の同年5月26日逝去。
    上記出典:『伊豫の三将』(新愛媛社 昭和8年4月刊行)

    翌昭和8年に、昭和天皇は、
    上海事変を見事に収束した白川大将の功績を偲ばれ、
    御製一首を詠まれて、遺族の許に下賜されました。以下に紹介します。

    をとめらが雛祭る日にたたかひをとどめしいさをおおもひいでにけり

  5. 末吉 より:

    亜希子ではない。様
     
    ご返信が大変遅くなりました。
     
    改めまして、
    明けましておめでとうございます。
    (すでに言ってましたっけ?)
    投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
    閲覧並びにコメント、ありがとうございます。
     
    このHN、ちゃんとわかってますよ~。。。
    ご奉仕、本当にお疲れ様でした。
    その後、体調を崩したりしませんでしたか?
    少し違う形での新年はどうだったでしょう?
    ホームページ開設以来、三回目のお正月でしたが、
    コメントをくれた方は初めてなので、非常にうれしく思ってます。
     
    松の内もすぎ、
    いつもの生活に戻りつつあることでしょうけど、
    今は寒の時期、くれぐれも体調管理には気を付けてくださいね。
    またのコメントお待ちしております。
    ちなみに、
    まだ片付けが終わってませんので、
    月並みなコメント返しで申し訳ないですw

  6. 末吉 より:

    S様
     
    ご返信が大変遅くなりましたが、
    明けましておめでとうございます。
    本年もなにとぞよろしくお願い致します。
     
    さて、
    コメントを見るにつけ、
    大変驚きました。
    本当だとしたら、同じ日本人として考えられない行為であります。
    いくら地元活性化のためとはいえ、暴挙としか考えられません。
     
    白川大将といえば、
    当県ご出身の偉大な偉人であり、
    このようなことは県を挙げて断固反対すべきと考えます。
    今後の動向を見守りたいと思います。
    貴重なコメントありがとうございました。

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