末吉、松山南高校清掃奉仕を話す
カテゴリー: 護國日誌
2012年7月11日 水曜日

愛媛縣護國神社裏千家流茶道教室

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(詳しくはコチラをクリック)

第十一回稽古日 7月21日 13時~17時(森光宗芳先生)

第十二回稽古日 7月22日 10時~15時(江戸宗禮先生)

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こんにちは、

人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)

 

以前、知人から送ってもらった画像に、

戦艦大和の建造中のものがありました。

昭和16年、大和最終艤装中の一枚。

 

呉海軍工廠では、多い時で約十万人もの人々の出入りがあったそうです。

全国各地から集まった人々が、所狭しと動き回るその要塞ともいうべき工廠は、

東洋一の軍港と言われるまでになり、

大日本帝国海軍を支える重要な拠点の一つでした。

 

戦争末期の昭和20年6月22日、

工廠は米軍のB29の爆撃を受け挺身隊として勤務していた、

愛媛県立松山高等女学校御出身四十二期生の三乙女、

 渡部節子姫命

 武智悦子姫命

 竹内和栄姫命

が散華されられました。

 

当時の資料などを要約すると、

『昭和20年に入ると徐々に空襲が続くようになり、6月22日午前の空襲では多数の死傷者が出た。二次電池工場で働いていた3名は、工場の地下壕へ避難。逃げ込んだ地下壕の入り口は爆撃でふさがれたため、満潮で海水が浸水しても逃げることができなかった。別の工場でいた湯浅氏は「潮が引いて発見されたとき、3人はきつく抱き合っていたそうです。苦しかったのでしょう。」』

 

昭和52年、同窓生湯浅まちこ氏や山崎篤子氏、栗田萬寿美氏らが中心となって、

当社に慰霊碑を建立、

昨年その清掃活動は後輩であります、松山南高等学校へと引き継がれたのでした。

詳しくはコチラをクリック

  ↓  ↓  ↓

http://www.gokoku.org/topics/?p=2421

http://www.gokoku.org/topics/?p=2428

 

そして昨日、

大規模な清掃奉仕は本日で2度目となりますが、

『松山南高等学校清掃奉仕』がありました。

二宮教頭先生、村井先生の引率で家庭クラブの1、2年生30名が、

集合するや否や、ホウキや雑巾を持って、場所で清掃を始めました。

 

今年も大先輩方であります

山崎篤子、栗田萬寿美両氏が現場監督です(⌒▽⌒)

(左から二宮教頭先生、栗田萬寿美氏、山崎篤子氏、村井先生)

 

松山南高校出身、当社のお手伝いもして下さってます、

御縞こずえ氏(写真下右)も駆けつけて下さいました。 

 

慰霊碑周辺は2年生が担当。

丁寧に慰霊碑を雑巾で拭き掃除。

『当時の方々と同じ年齢ですから』と、

城北高女(現松山北高校)の慰霊碑も拭き掃除。

 

一方、

慰霊碑の下の愛媛万葉苑は1年生が担当。

写真を撮りに行くと、

ホウキを持ってダッシュしてます。

∑( ̄□ ̄)ハッ!!

魔女の宅急便みたいにホウキで空を飛ぶ練習?

と思っていると・・・

 

蚊と格闘中でしたwww

でも、やるべきことはしっかりしてましたよ。

今、ご覧の人、

ちょっと動きが固いと思ってませんか?

末吉、決して、

『ホームページ用の写真とるけぇ、掃除のかまえして~!』

とは一言も・・・ひとっこともいってないですよ( ̄皿 ̄)うしししし♪

な~んて、

本当に真面目な生徒さんたちばかりでした。

 

ですから、ちゃんと落ち葉が集められているでしょ?

   

片づけのときの山崎氏の一枚。

当時のことや清掃奉仕のことなどを

二宮教頭先生と話されていたのでしょう。

御縞氏とは、

こうして清掃奉仕が引き継がれたことの喜びと感謝を。。。

きっといろいろ思うところがあるのでしょうね。

 

清掃奉仕を終え、

敵(蚊)との戦いを休戦するように伝えて、

集合写真を撮りました。 

う~ん・・・

ちょっと暑さでバテ気味かな?

しかも、

いつの間にか仲田校長先生が真ん中に∑( ̄□ ̄)ナント!!

 

末吉 『校長先生、進学校ではガッツポーズは禁止ですか?』

校長先生 『校則違反ではないです、大丈夫です。』

ちゃんと許可をとりましたよ。。。

 

なんてユーモラスでノリノリの校長先生。

こんな校長先生なら、

もう一度、末吉も高校生に戻りたいなぁ・・・。

 

ってなわけで、

元気な一枚を!

 

山崎篤子、栗田萬寿美、御縞こずえ三氏から

労いのジュースの差し入れ。。。

 

慰霊碑前では、

仲田校長先生、二宮教頭先生に小川宮司が御礼のご挨拶。

こうして

笑顔のうちに清掃奉仕は無事終了しました。

 

戦争というと、

殊生徒さんたちにとっては、遠い異国の地での出来事のようでしょうけど、

67年前、実際に起こった事実なのです。

 

当時を知っておられる大先輩方が守ってこられたその想いこそ、

慰霊顕彰以外のなにものでもありません。

英霊となられた三乙女の安らかならんこと、

次世代を担う若人に神のご加護と幸多きことを祈念してやみません。

 

 

~本日の予定~

①万灯みたままつり準備

  

~明日の予定~

①靖國神社みたままつり

②末吉、お休みですw

      

~明後日の予定~

①万灯みたままつり準備

コメント / トラックバック2件

  1. みっし~ より:

    先日は色々とお世話になり、ありがとうございました。
    当日は先生が生花を持って来られ、
    生徒さんが活けて下さいました。
    この時期は暑いので、つい碑の前は造花ばかりになりがちです。
    涼しげなお花が添えられ、三乙女の皆様方喜んで下さったのではと
    思います。
    私もとてもうれしかったです。

    そして高女42期の方々はと言うと、氷やクーラーボックスを手配したり
    当日来れない方も、お店にドリンクを探しに行ったりされていました。

    余談ですが・・・
    (○○さんは、「ダンボールにビニール袋をかぶせてペットボトルを入れ
    そこに氷を投入!」という暴挙wwwに出ようとしたもよう。
    ・・水滴で箱が変形します。40本以上ありますし・・
    ・・無理です、車で運べません~。
    氷屋さん、止めてくれてありがとう!www
    クーラーボックスも貸して頂けるんですね。一つ賢くなりました)

    ともかく「お掃除に来たかわいい後輩を何とか労ってあげたい」
    という気持ちが溢れていらっしゃいましたよ。

    生徒さん達は一生懸命に清掃されていましたね。
    先生「終わったら碑に一礼して帰ってねー」の声に応えて
    一人ひとりが丁寧に礼をして降りて行きました。
    私の中で、暖かな、静かな感動が広がりました。

    三乙女の皆様には、慰霊と顕彰の気持ちを、
    生きていて下さり、終戦後の日本を支えて下さった皆様には
    感謝の気持ちを捧げたいと思います。

  2. 末吉 より:

    みっし~様
     
    先般は大変お疲れ様でした。
    種々のお手配を頂戴いたし、大変心強く思いました。
     
    生徒さん方も、
    最初は戸惑いもあったようようですが、
    清掃が始まると気持ちの良いほど精一杯御奉仕をしてくれ、
    三乙女も大先輩方も安心されたのではないでしょうか。
    もちろん、
    みっし~様が折を見て清掃奉仕されていることも三乙女にはしかと伝わっていることでしょう。
     
    四十二期生の皆様方におかれましては、
    生徒さんを我が孫のように思われ、
    少しでもその労を労おうというお気持ちでいっぱいだったのでしょう。
    その思いは、ジュースを手にした生徒さん方に伝わっているはずです。
     
    某氏の暴挙・・・確かに氷屋さんに只管感謝です。
    でも、
    末吉もそのようなことをしたことあるようなwww
    正直、笑えないかもwww
    でも、
    そのお気持ちが嬉しいじゃないですか。
     
    最後に生徒さんの一礼、
    写真を掲載し忘れましたwww
    でもその姿は、
    奉仕したものの胸にしまっておきましょう。
     
    時代が移り変わっても、
    定期的に清掃奉仕が繰り返され
    英霊に対するそのお気持ちが
    永遠に受け継がれていくことを願ってやみません。

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