こんにちは、
人生楽笑(じんせいらくしょう)末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
本日は沖縄水上特攻の日。
言わずと知れた
『戦艦大和沈没』の日であります。
詳しくはウィキペディアを参照にしてください。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
この日、
いつもコメントを下さるS様からご連絡があり、
茂木史朗航海長のことを是非紹介してくださいと、
写真もお送り頂きました。
それは、
航海長という職責もさることながら、
大和の中枢で
愛媛県出身の方がご活躍されていたことを知ってもらいたい。
という切なる思いからであります。
もちろん、
当社の御祭神でもあります。
いろいろ考えたのですが、
末吉が持っている中途半端な知識よりも、
碑文にそのすべてが書いてありますので、
是非読んでいただければと思います。
最後になりましたが、
沖縄水上特攻をはじめ、
散華されられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
以下、添付いただいたものです。
桑原寺(そうげんじ)(松山市桑原6丁目5-4)
以下が石碑(平成四年八月建立)の碑文全文です。
「明治三十八年温泉郡桑原村に生まれる 松山中学校四年終了後海軍兵学校に進み
大正十四年同校卒業 昭和十四年一月から海軍兵学校教官を務めた後、同十六年には
「神通」航海長 同年九月には「鳥海」航海長 同十八年六月には戦艦「榛名」航海長と
航海畑一筋に進んだ 昭和二十年二月には前年末に捷一号作戦で活躍した
戦艦「大和」の航海長に就任する 同艦は沖縄上陸の米軍に対する菊水一号作戦に海上特攻出撃する
四月六日夜 豊後水道を南下した艦隊は七日朝
大隈海峡を西進したが午後に入って二次に亘る艦載機延べ三○○機の波状攻撃を受け
遂に十四時二十三分 九州西南方沖五十カイリ海中に没した
このとき艦長有賀幸作大佐は防空指揮所中央の羅針儀に
航海長と掌航海長は艦橋の羅針儀に それぞれ身体を縛り退艦勧告に耳をかすことなく艦と運命を共にした」
享年四十才
S様、本当にありがとうございました。
そして、
本日の桜。
手水舎前のヤマザクラです。
こちらは、
愛馬の像横のソメイヨシノ。
~本日の予定~
①西条市楠河遺族会慰霊祭 午前10時30分~
~明日の予定~
①境内案内板除幕式 午前9時~
~明後日の予定~
①合祀祭、霊璽奉安祭 午後6時~
祖父を紹介して頂き、ありがとうございます。
私は茂木史朗の孫です。
思いがけずこのサイトを見つけ、びっくりするとともに、
心より感謝申し上げます。
ところで、誰の依頼だったのでしょうか?
茂木大志様
初めまして。
ホームページ投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
閲覧並びにコメント、ありがとうございます。
と、
まさか、茂木航海長殿のお孫様からコメントがあるとは夢にも思いませんでした。
こちらこそ、
心から感謝申し上げます。
ご参拝下さった皆様方にお話しするのですが、
戦艦大和は非常に有名なのに対し、
それに乗艦しておられた方々のことはあまり知られておりません。
ましてや、県内ご出身の方が活躍されていたなど、
今、誰が考えているでしょう?
悲しいかなそれが現実であります。
そのような現代に一石を投じ、
英霊となられた方々がいかにして日本を護って下さったか・・・
そのようなことも含めてご紹介させて頂いた次第です。
ご依頼主に関しましては、
種々の兼ね合いからこの場にては申し上げることができません。
いずれ何らかの形でわかるのではないかと思います。
駄文にて失礼をお許しください。
これに限らず、
いつでもコメントお待ちいたしております。
また、
ご参拝下さることがございましたら、
是非ともお声掛け下さい。
茂木中佐のお孫様のコメントを拝見しました。
茂木中佐が愛媛出身であることは山岡荘八氏の『小説太平洋戦争』の記述にありますので、その部分をご参考までご紹介させて頂きます。使用文献は文庫版(講談社)で昭和62年に刊行されたもので、全九巻のなかの第八巻の72ページです。
* 以下引用
こうして長官が去ると艦橋にいた人々は、次々に檣楼から最上甲板におりて行き、艦橋に残ったのは愛媛県出身の航海長、茂木史朗中佐と、岡山県出身の掌航海長の花田泰裕中尉の二人だけになった。
「-花田、さ、おれから先に縛れ」
まず航海長の足を花田中尉が主羅針儀の台にしばり、縛られたまま今度は航海長が中尉の足をしばってやった。
艦がまた一層傾いた。もう四十五度はある。と、最上甲板から、
「―天皇陛下万歳!」
散り散りに海に身を投ずる人々の最後の声が噴き出すように湧きあがり、続いてすさまじい自爆の雷光が、縦横にあたりへ走った。
以上です。
始めまして、私のブログに「伊予絣」様よりコメントを頂戴し、こちらへおじゃま致しました。
また、先の茂木大志様からも同様にコメントを頂戴した経緯がございます。
私の祖父「三嶋正造」は、第二艦隊司令部で大和乗艦。中尉でした。やはり四月七日が命日でございます。
術科が「暗号」。おそらく、最後は、山形安吉大佐、高橋仁子中尉と共に、暗号室へ施錠したものと推察しております。
自身のブログからは、茂木様はじめ、野津実兵曹長(大和信号)ご遺族。三島忠兵曹長ご遺族とも繋がりを持てました。
私の実家は宮城県。大和乗艦名簿では宮城県出身者は18名。
松山という遠い地ではございますが、いずれお尋ね出来たら。そう思いました。
匿名様
初めまして、
投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
茂木中佐への・・・
いえ、末吉たちは、
『茂木史朗命』と呼ぶべきでしょう、
我が愛媛県を代表する詳細なるコメント、
感服致しました。
末吉、
改めて大和関係の本も読み返してみたいと思います。
酔漢様
初めまして、
閲覧並びにコメント、ありがとうございます。
投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
何卒宜しくお願い致します。
って、
え~っ!!!
ちょっと、どうなってるんでしょう!?
なんという方々からのコメント!
茂木様は同郷でありますが、コメントを頂戴するとは夢にも思いませんでしたのに、
三嶋正造命のお孫様からもコメントを頂戴するなんて、、、
末吉、
今、猛烈に感激するとともに、
S様のお送り頂いた記事に
改めて感謝申し上げます。
とにかく、興奮しておりますので、
上手くコメントを返すことができかねますが、
まずもって、
英霊となられた『三嶋正造命』をはじめ、
第二艦隊戦歿者、
戦艦大和乗組員戦没者に対し、
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
さて此の度のコメントの中に、
英霊となられた方々、
『三嶋正造命』
『山形安吉命』
『高橋仁子命』
『野津実命』
『三島忠命』
がございます。
今、本棚から本を取り出し改めて確認致しますと、
お名前を確認することができます。
英霊のお孫様とこうしてやりとりするとは、
夢にも思いませんでした。
これもすべて英霊のお導きなのでしょう。。。
只管『感謝』の一言であります。
末吉、
県内ご出身の英霊、
四万九千七百二十三柱にご奉仕致しておりますが、
祖父も当時呉海軍工廠に出入りしていたので、
特別な思いがあります。
え~っと・・・
何をどうコメントしたらいいのか・・・
本当に興奮して、
今夜は眠れそうもありません。
ただ一つ。
英霊の意思を持つお孫様方が、
今こうして、
末吉が続けている『護國日誌』に
コメントを下さっている・・・。
これが幸せという以外になにがあるでしょう?
これからも
できる限り書き続けますので、
是非ご覧になってくださいね。
(最近ちゃんとかけてませんがwww)
また、
明日、
三嶋様のことを英霊にご奉告するとともに、
三嶋様、ご家族様の益々のご隆盛を御祈念申し上げます。
すいません、、、、
本当に興奮して、
何を書いているのでしょうwww
とにかく、
ご参拝の折は絶対ご一報下さい。
コメント、本当にありがとうございました。
はじめまして。戦艦大和信号手・野津実兵曹長の甥です。酔漢様にお知らせいただきこちらへお邪魔いたしました。昨年ふと思い立ち、写真すらない伯父のことを調べようとしたのはいいのですが、ご案内の通り、戦艦大和は存在自体を徹底して秘匿したためもあり調査に難渋いたしておりました。その折、幸いにも酔漢様の知己を得て大変なご尽力をいただいたところです。野津実・三島忠両兵曹長は同郷で島根県出身。三島兵曹長は砲術下士官であられたことが写真から判明しております。面白いことに、実(みのる)は私の父の兄ですが、その父が数年来お世話になっておりました介護ヘルパーさんのお母さんの叔父様が三島兵曹長であったという、非常に不思議なご縁で結ばれた三者でした。また、ご当地松山には義理の姉夫妻が在住です。私もいつか松山に行くことがあれば、参拝させていただきたいと思います。
追伸
戦艦大和の機密秘匿についてですが、実伯父最後の帰省の後、何か変なことをしゃべらなかったか警察が密かに近所に聞いて回ったと、親族間に伝わっております。当時の実情を物語るエピソードの一つとして記させていただきます。
野津様
はじめまして。
投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
此の度は閲覧並びにコメントを頂きありがとうございます。
『戦艦大和』
末吉も幼き頃から憧れておりました。
祖父から何度も話を聞き、
夜はその有志に胸躍らせたものです。
恥ずかしながら、奉職をはじめて、乗艦されておられた方々の中に愛媛県ご出身の方々が多くいたことを知り、興奮冷めやらぬ昨今であります。
そんな中で、御祭神のお孫様、甥御様、お身内の方々からコメントを頂戴するなど、夢にも思いませんでした。
おっしゃられるように、
不思議なご縁というのは、
散華された英霊のお導きと拝察いたします。
この『護國日誌』というブログも、
またコメントを頂いた方々も、
平素であれば、夫々の生活を送り、
恐らくお名前を知ることすらなかったのではないでしょうか?
野津様や三嶋様、大和戦没者をはじめ、
英霊とかかわりのある多くの方々の慰霊顕彰の場、
交流の場として、
また、情報提供の場となれば幸甚です。
奇しくも明日は海軍記念日。
海軍全戦没者に謹んでご奉仕させていただく所存です。
愛媛をお尋ねの際は、当社にも是非ご参拝下さい。
またお一方、
大和にかかわり深い方からコメントを頂戴し、
末吉、興奮して今夜も眠れそうにありません。