末吉、雨の日に語る
カテゴリー: 護國日誌
2011年9月20日 火曜日

『忘れるな!被災地への思い!』

 

 

おはようございます、

『人生楽笑』末吉です(⌒▽⌒)

 

日本列島を台風がウロウロして、

あちこちで被害が出ており、

また警戒しなければならないという状況になっていますw

 

誰でも、

『好かれる』

というのは嬉しいことですが、

台風や豪雨、地震など、

被害を蒙るものに好かれるのは、

いい気持ちになりませんねぇwww

 

大雨、地すべり、土砂ダム・・・

いろいろなところで、警戒をされていることでしょうけど、

とにかく、

これ以上の被害はゴメン蒙りたいところですw

 

∑( ̄□ ̄)ハッ!!

大吉・・・

そう、

ここ最近、忙しさのあまり、

大吉にかまってやってないのですが、

元気にパトロールしてるのでしょうか?

 

ちょっと用務員さんにお話しを聞いてきます・・・

 

 

━━━━━(しばらくいま線)━━━━━

 

 

・・・只今戻りました!

 

残念ながら、パトロール中でしたが、

結論から言いますと、

超元気でした(⌒▽⌒)

 

毎日、数回ご飯を食べに来て、

境内パトロールをしているそうです。

 

いずれ写真でご紹介しようと思っていますが、

 

どうやらかなり丸々としているようですwww

 

秋の味覚はお預けのようですよ。。。  

 

 

~今日の予定~

 ①池見敬子氏なぎなた世界選手権優勝祝賀会

      ↓   ↓   ↓

 (http://www.gokoku.org/topics/?p=2395

 

~明日の予定~

 ①秋の交通安全運動

 ②末吉お休みです

   

~明後日の予定~

 ①そろそろ大祭準備本格化

コメント / トラックバック4件

  1. 匿名 より:

    末吉様
    並びにご覧頂いている皆様方へ

    長々と失礼します。
    以下の産経記事は、私の知人が大変素晴らしい記事なので、
    ぜひ読んで下さいと紹介してきたものです。
    ぜひお読み下さい。

    執筆者の笹さんは30代の女性ジャーナリストで、戦後の戦争への
    教育へ疑問を持ち、自ら南方の戦地を訪ね歩き、数々のレポートを
    書いています。平成19年には文芸春秋社から『女ひとり玉砕の島を行く』
    を上梓し、今も大東亜戦争の真実を発掘しようとしています。
    最近では遺骨収集の活動にも取り組んでいます。

    平成23年7月28日付け産経新聞 コラム40×40より
    ジャーナリスト 笹 幸恵「足元からペンの力を発揮」

    昨秋、高知新聞の社会部記者・福田仁氏と出会った。この日は、千鳥ヶ淵墓苑で東部ニューギニア方面の遺骨引渡式が行われていた。引渡式とは、各戦域で戦没者の遺骨収容にあたった政府派遣団が帰国した際、遺骨を厚生労働省職員へと引き渡す行事のことである。
     福田記者は30代、私と同世代だ。それから年が明けてしばらく後、大きな封筒が送られてきた。彼は、高知新聞の社会面で『祖父たちの戦争』と銘打った記事を連載していた。封筒の中身は、その切り抜きだった。
     敵前上陸の専門部隊だった「南海支隊」。その基幹は高知の歩兵第百四十四聯隊である。開戦当初、南海支隊はグァム、ラバウルを占領したが、その後に東部ニューギニアへと向かっている。補給の続かぬ「魔のオーエンスターレー山脈越え」と、続く飢餓と病の戦場、支隊は壊滅状態となった。福田記者は南海支隊の生存者の元へ足しげく通い、孫の世代である自らの率直な目線で、祖父たちの戦争を書き連ねていった。
     「これまでの高知新聞でも、戦争企画はやっていたんです。でも“悲惨だ”の繰り返し。“もちろん悲惨だし”二度と繰り返してはいけない。だけど何があったのかを知ることは大切ですよね。まして南海支隊は、われわれ高知の郷土部隊。うちが取り上げないでどこが取り上げるっていうんですか」
     全国紙にはできない“地元密着”こそ、地方紙ならではの特色であり、存在意義である。5部構成、約半年にわたった連載記事は、地元・高知で大きな反響を呼んだ。感想はもとより、元兵士、未亡人、あるいは遺児からの問い合わせが連載終了後も続いている。それによって彼は「新聞も双方向のコミュニケーションになり得る」と実感していた。
     過去の戦争を大上段に構えて語るのはたやすい。自分の足元を見つめようとしない人の何と多いことか。けれど福田記者は、自分の足元から「ペンの力」発揮したのである。

    高知新聞の連載をごく一部ですが、図書館で読んでみました。
    大変感動的で、資料的にも価値の高いものだと思いました。
    翻ってわが愛媛はどうでしょうか?
    昭和40年代に、愛媛新聞に記者の
    客野澄博氏(今は鬼籍に入られています)が
    愛媛の郷土部隊の歩兵第二十二聯隊の歴史と事績を
    連載しましたが、以後はそれ地元紙やメディアが、「ペンの力」を発揮した事例を
    他に知りません。今では客野氏の論考は、一般の方に目に触れることはできません。

    二十二聯隊以外にも西条市の五軍神、三机の九軍神や海軍の松山航空隊等等
    県人関係の“戦争”をどれだけの方が知っているでしょうか。
    高知新聞の若い30代の福田記者の試みは、戦争の真実を次の世代に正しく
    継承してゆく意味で、大変意義のあることだと思います。本稿は、戦後の世代に
    よって、国のために戦い散華した郷土の英霊・先人たちへの歩みを伝える時期では
    ないかとの命題を突きつけているように思えてなりません。

    こうした企画は、英霊・戦歿者とは私たちにとって決して遥か遠い存在なのではなく、
    自らの“足元”の歴史だと知る機会になります。そして身近なもの
    として捉えられるようになってゆきます。さらにその真情を自らの内に内包するようになり、それを契機として自己の心の発露、内発的な要請として、地域と慰霊碑さらに靖國神社や各県の護國神社に足が向くようになると思います。

    戦後、英霊の歴史は顧みられず、継承も蔑ろにされ続け今日に至っていますが、少しでも心ある人々により、こうした試みが行なわれることを祈ってやみません。また微力ながらそうした営みを地道に取り組んで参りたいと思っています。

  2. 末吉 より:

    匿名様
     
    はじめまして。
    投稿担当の末吉(すえきち)と申します。
    何卒宜しくお願い致します。
     
    さて、
    平成23年7月28日付け産経新聞コラム
    ジャーナリスト 笹 幸恵「足元からペンの力を発揮」
    をご紹介頂きありがとうございます。
    当社でも産経新聞を読んでいるのですが、
    末吉はなかなか読む時間がなく、
    見過ごしてしまっていることを深く反省致しました。
     
    ニューギニア戦線、
    殊、スタンレー作戦については、
    末吉も少しですが勉強したことがあります。
    『激戦』という言葉以外には見つからない戦地。
    オーエンスタンレー山をはさみ、
    東部、西部での明暗などなど・・・
    そのような激戦地において、
    英霊となられた方々は、
    いかに勇敢に戦われたか・・・
    それを思うとき、
    末吉は涙がこぼれます。
     
    同時に、
    郷土部隊とはいえ、
    今はこのような記事が掲載されることが久しい昨今において、
    よくぞ、連載してくださったと、
    心から感謝を申し上げたい気持ちです。
    本当に嬉しいことですね。
     
    また、
    とある方の勧めで、
    客野氏の本を読んでおりますが、
    第一級の資料に値するものだと、末吉は思います。
     
    ある方曰く、
    『近代史、特に明治から昭和にかけてを学べば、
     日本という国、日本人という人種の8割が理解できる』
    とおっしゃっておりました。
    その通りだと思って居ります。
     
    然しながら、
    現在においては、
    『戦争』という言葉に非常に敏感になっており、
    英霊や当時の方々のお話をしようものなら、
    『非国民』のような目で見られます。
     
    教科書問題にしても、
    右派思想だのなんだのと、必要以上に騒ぎ立て、
    結局、支那や南朝鮮思想をふんだんに取り込んだ、
    無価値な歴史認識を植えつける教科書を多く採択しています。
    日本の子供がアホになってしまわないかと危惧しております。
     
    いずれにしても、
    英霊の声を全国民に伝えることが、
    タブーなのか、
    根性がないのか、
    自己満足の範疇なのか、
     
    末吉は、
    もっといろいろなことを伝えたい。
    護國神社の職員としてだけでなく、
    一人の日本人として、
    先人がいかにして、どのようなお気持ちで、
    そして、
    だれのために、なんのために戦われたのか・・・。
     
    本日、
    アメリカで首脳会談があったそうで、
    そのとき、
    南朝鮮の大統領が慰安婦問題をつきつけると、
    南朝鮮国内ではメディアが報じているそうです。
    それに
    『ノー』
    といえるような人でなければ、
    日本人としての価値はないですよね。
     
    取り留めのないコメントになってしまいましたが、
    匿名様も、
    末吉と同じ考えと存じます。
    これからも、心同じくするものどおし、
    本来の日本人の
    伝統と誇りを矜持すべく、
    頑張っていきましょう。
     
    時節柄、
    呉々もお身体お大事になさって下さいね。
    またのコメントお待ちしております。

  3. 匿名 より:

    末吉様

    ご丁寧で真心が行間から滲み出るような
    ご返信有難うございました。
    お人柄が偲ばれます。

    ニューギニア戦線についての本や文献は、
    強調し読了すればまさに悲惨さの一語を痛切に感じるものが
    殆どです。
    実際、戦死者や戦傷病者の数だけみても、
    また戦いの戦闘事実を追ってみても、
    本当に過酷な戦場だったのでしょう。
    今の日本に生きる我々が想像できないほどの。

    しかしながら、そうしたものの中でも
    過酷なニューギニア戦を、日本人本来の伝統的な生き方、死生観から見つめ、戦い散った英霊たちの姿を描いた本を一つ紹介しておきます。

    大東亜戦争当時、従軍作家でも山岡荘八氏の
    『小説太平洋戦争』(昭和40年~46年にかけて刊行)
    私が持っている昭和62年発行の講談社の文庫版では第四巻
    。その約4分の3をニューギニア戦に費やし書かれています。
    ぜひお読み下さい。悲惨な中に、日本人の高貴さの感動に
    触れることができます。

  4. 末吉 より:

    匿名様
     
    こんにちは。
    駄文のコメント、本当に恐縮ですw
     
    その本は、
    末吉、初めて耳にするものですので、
    是非探して読ませて頂きます。
    ご紹介、本当に有難う御座いました。
     
    さて、
    ニューギニア戦線については、
    復員された方々からも、
    いろいろお話しをお聞きしましたが、
    本当に過酷な戦場の一つだったのですね。
    また、
    南溟の島々に至るまで、
    我が國日本を守るために、
    本当によくぞ奮戦されたことと、
    心から感謝せずにはいられません。
     
    まだまだ
    末吉も勉強不足であり、
    皆様方に種々ご教示いただかなくてはなりませんが、
    このようなことを通して、
    是非、多くの方々に、
    英霊のこと、
    戦場のことなどが少しでもわかっていただければ幸甚です。
     
    だって、
    末吉たち、
    現在を生きる人々の、
    守り神様ですからね。

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