こんにちは。
たゆたえども沈まぬ
人生楽笑(じんせいらくしょう)
末吉(すえきち)です(⌒▽⌒)
先日あるお話の中でのこと。
某偉い方曰く
『やがて御遺族はいなくなる。将来は一柱一柱というだけではなく護國神社の大神様としての形で、平和を象徴する神社となっていけばいいのではないか。』
この意見に対する末吉のジャッジは・・・・
はい、全くだめ~!
のど自慢だと鐘一つ、
学生だと不可。
散華された方々が思うと
さぞ残念に思うでしょう。
みなさんは
なぜ末吉がそう思うかわかりますか?
~今日の予定~
①特にありません。
~明日の予定~
①第798回献謡祭 午後1時~
①末吉、出張です(更新できませんw)
~明後日の予定~
①特にありません。
間違っているのは承知で書きます。
はい。ダメ〜って言われても良いので正解を教えてくださいね。
私が思うに、国のために戦って亡くなられた方を大切に神様としてお祈りしている護国神社なのに、他の神社と同じくし、しかも一つにまとめてなんておかしいと思います。
私は何も、神社のこと知らないので申し訳ない。勉強不足です。
どうぞ、どうしてなのか教えてください。
ひろぴんこ様
こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。
回答が遅くなって申し訳ありません。
扨、勝手気ままな末吉ジャッジですが、仰る通りなんです。
簡単に説明しますね。
他のお社は神様の素性がはっきりしています。
靖國神社や護國神社の神様(英霊)も同様です。
ただ、
英霊の数が半端なく多いのです。
当社は49727柱、
靖國神社に至っては2466000余柱。
そしてほかのお社と決定的に違うところがあります。
英霊の御姿を見たことがある血を引く方々が多く存在しているということ。
それがご遺族です。
つまり英霊の数だけその生き方や想いを知っている御遺族が存在し、それを少なからず英霊のことを継承しているんです。
今回のお話で事が進むと、
その想いや生き方、ご遺族までもが一くくりにされてしまいます。
単なる『平和の象徴』のお社となってはいけないのです。
國を想い、大切な人を想い散華された英霊の声なき声に耳を傾けなければ、靖國神社や護國神社の存在意義がなくなってしまいます。
なんとなくわかっていただけました?
もう少し掘り下げたほうがいいでしょうか?
よくわかるように説明して頂いてありがとうございます。
神社は神様を奉り、護国神社は戦争で亡くなった方を奉る
そして、ご遺族の為に、神社がある。よくわかりました。
本当にありがとうございました。
所で、友人の禅宗のお寺の奥さんが、一緒に旅行に行くと
お寺や神社で朱印を押してもらっています。
私たちよくわからないけど、一緒に御朱印帳を買って今度からお寺や神社で押してもらいたいなって思っています。
私の友人の宮司さん、学生の頃そんなに字が上手じゃなかったのに、神社に就職してから何年かして、何か書いてあるのを見たことがあったのですがすご〜く上手になっていました。
きっと末吉様も素敵な字を書かれるのでしょうね。
是非見たいものです。わくわく。
ひろぴんこ様
言葉足らずになったので誤解がないように追記しますね。
この解釈を間違えると、
靖國神社や護國神社を正しくお分かり戴けませんからw
神社は『八百万の神』(やおよろずの神)
護國神社は『英霊』(えいれい)
どちらも神様なんですよ。
通常、神様のことをよく知っているのは我々神職でなければなりませんが、靖國神社、護國神社の神様のことをよく知っているのは御遺族なんです。
なぜなら、一番縁が深いから。
かといって、
靖國神社や護國神社は御遺族のために存在するのではありません。なぜなら英霊は御遺族のために散華されたのではなく、國の為に散華されたからです。
だからこそ、
靖國神社はいずれ日本国に返さなければならないお社、
護國神社はいずれ各道府県に返さなければならないお社なんです。
換言すれば、
日本国民全員が靖國神社の神々に、
各道府県民全員が護國神社の神々に、
奉慰顕彰の誠を捧げなければならないんです。
それが神様と我々生きている者との約束なんです。
と、
補足になってますでしょうか?
確かに、
御朱印を書かれる方々は達筆です。
が、
末吉は・・・・・(/_;)シクシク
ガッカリしないでくださいねw
神社のことわかってなかったですね。学校でも教えてもらわなかったし。
この事、知らない人が多いのではありませんか?
もっと、皆さんがわかると良いですね。
ひろぴんこ様
いえいえ。ひろぴんこ様のように
『どうして?』『なぜ?』と思う方が少ないんじゃないでしょうか?
学校では、仏教のことは教えても、神社のことは教えません。いろいろな事情があるのでしょうw
終戦の日も近くなってきました。
これらのことをもっとみなさんが知って戴けることを願ってやみません。